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学校長ブログ

運命のバトン

 熊本中央高校は「挑戦」を(うた)っています。中央の「挑戦」はかつての特進から始まりました。雪の降る中、はじめて連れて行ったセンター試験、受験生の数とたくさんの(のぼり)に圧倒される生徒達。第1志望に合格できなくて、旧校舎の階段で一緒に泣いたこと。進路指導室でばんざいと叫ぶ生徒の姿・・・たくさんの生徒達が、高いハードルを、倒れてもなお挑み続けてきました。

 今年の3年1組も、いよいよ明日からの共通テストに挑みます。

「受験は孤独な闘い。でも、中央の特進コースは、未来を賭けた仲間のために全員で闘ってほしい。」

 発足からずっとずっと特進コースを見てきたわたしの願いです。そして運命に克ってきた先輩達の


運命のバトン-

を次の世代につなげてほしい。3年1組の教室には『一笑懸命』という言葉が掲げられています。今年の3年1組が3年1組らしく、全員笑って熊本中央高校を卒業していってくれること。そのためにも明日からの共通テストをがんばること。熊本中央高校の誰もがみんなのことを応援しています!

絆をつくるもの

「中礼先生、ウインターセミナーで発表したレポート読ませて~」とわたし

「えー先生が読むんですか?」とびっくりた顔の中礼先生

「だめ?」

「いや・・・持って来ます。」

 

 先日もお知らせしました。全国ウインターセミナーの『クラス・集団づくり』の分科会で2年6組担任の中礼先生が、レポート発表をされました。テーマは「初担任レポート」。ういういしい文章で、はじめての担任ならあるだろうな、という課題がいくつか書いてありました。でも、中礼先生の文章を読んでいて感じたのはそのことよりも、真剣に悩んでいる、という姿勢でした。

 どんなにベテランであろうと、どんなに優秀であろうと、悩まない教師はダメです。人と関わる仕事である以上、悩みがなくなることはありません。確かに経験や技術はまだまだ未熟かもしれない。でも、中礼先生はしっかりと悩み、しっかりと考えようとしている。2年6組の生徒達にもぜひ知ってほしい。みんなは幸せです。

 

絆をつくるもの-

 

 担任は、学校でもっとも大切な仕事です。そして、生徒とともにもっとも感動を味わえる仕事です。2年6組と中礼先生の卒業までの道のり、そこにきっと絆が生まれることを心から願っています。いいレポートでした。

どうしても中央に行きたい!

 来週、いよいよ学力奨学・専願入試があります。今年は、514名の中学生のみなさんが受験してくれます。ありがとうございます。昨年の今頃でした。重い病気を患った生徒さんが

 

どうしても中央に行きたい!-

 

と思っているという話がありました。担当されていた中学校の先生から病気のこと、その生徒さんの思い等いろいろなお話を伺いました。オープンスクールに参加して、わたしの話を聞き、わたしの言葉を信じて熊本中央高校に行きたいと思ってくれたそうです。話を聞いていて胸が熱くなったことを憶えています。結果は見事合格。その生徒さんは、今、病の治療をしながら元気に学校でがんばってくれています。

 数ある学校の中から熊本中央高校を選んでくれた中学生のみなさん。中央でがんばりたい。どうしても中央に行きたい。そんなみなさんの思いにわたしたちは精一杯応えていかないといけないと思っています。この春、3年生は卒業式を迎えます。中央から巣立っていく生徒達、そして中央で新しいスタートを切る生徒達、その誰もが「中央に来てよかった。」と思ってもらえるようがんばらなければとあらためて思います。

 中学生のみなさんが悔いなく受験を終えられることを心から祈っています。

中央の授業力、若い力を

「いい授業をするために自分は何をどう努力すればいいんですか?」-

 

 先週末、本校で行われた全国ウインターセミナーの公開授業が終わって直後のこと。中央の若い先生が、そうわたしに言い寄ってきました。どうやらやる気はあるけれど悩んでいる様子。いいことです。そんな思いを若者が持つようになっただけでも今回のセミナーを熊本中央高校でやった意義はあったかと思います。

 いい授業をやりたい。おそらくすべての教師がこんな思いを持っています。ただ、そう簡単なことではない。正直、その厳しさに耐えられず努力することを諦める教師もたくさんいます。特に授業は、その教師の総合力です。メンタルの強さ、話し方・伝え方の技術、もちろん教科の専門性、生徒をどんな風に見ているのかといった人間観、コミュニケーション力、パフォーマンス力等々・・・こういったすべての力が、ほんのちょっと努力したぐらいで身につくはずはありません。

いい教師は常に自分に厳しく努力し続けます。何年も何年も・・・そこに妥協はありません。そして、悩み続けます・・・わたしたちの目の前には生徒達がいます。生徒達は教師を選べません。教師の力が生徒達の成長を左右する。教師という仕事は厳しい仕事です。でも、だからこそ感動があって、やりがいもあります。

 今回のウインターセミナーで、池田織先生、一宮先生、アルワザニ先生、岡本先生&生物探究部が公開授業をやってくれました。全国から集った先生達、そしてボランティアの生徒達、多くの人に授業を公開するというのは大変なことです。準備の時間、気持ちの面でのプレッシャー、でも今回、この4名の先生方はその大変なことをやり切りました。

もちろん、授業探究に終わりはありません。だから、授業を公開すればいろいろな課題を指摘されたり、自分の力のなさに気が付いたり・・・けっして満足ばかりがあるわけではない。ただ、そこから逃げようとせずに、精一杯準備して挑んだ授業は、必ず自分の授業力を高めます。

 わたしは思っています。

 

中央の授業力、若い力を-


 今回公開授業やってくれた若い先生方が、必ず熊本中央高校の授業力の(さきがけ)になる、と。中央は変わります。近い将来、他校と一線を画した「授業で勝負する」学校にしていきます。ウインターセミナーに参加された先生方、保護者の皆様、また快くボランティアで公開授業に参加してくれた生徒達、ほんとうにお疲れ様でした。

有終の美を飾る

 朝から3年生の教室を見て回ります。廊下はひんやりと凍える寒さですが、教室の中にいる担任の先生方は、別の意味でひやひやです。全員そろっているのか・・・勉強はしているのか・・・単位は取れるのか・・・学年主任の奥島先生によると、季節柄もあるのでしょう、インフルエンザ等の病欠の生徒が多いとのこと。あっ、書き忘れていました。3年生は、本日から高校生活最後のテスト。そのせいか、各教室は朝から何となくばたばたした雰囲気。でも、誰しもが思っているはずです。

 

有終の美を飾る-

 

 卒業は3年間の最後です。だからこそ全員にこだわりたい。進路がちゃんと決まっていること。履修すべき単位がしっかりと取れていること。誰一人かけてはだめです。今年の3年生はどうでしょう・・・今も未来の自分のために、なりたい自分になるために、懸命にがんばっている生徒がいます。誰一人かけることなく、3年生全員が有終の美を飾ることができるよう3年担任団の先生方を中心に、卒業式のその日まですべての3年生に関わっていきたいと思っています。

 

寡黙ですが、やる男です

 ある日の放課後、総合ビジネス科職員室の前で、ふと思い出しました。ある生徒との会話です。


「よく、数検準2級合格したね?」

「はい」あいかわらず寡黙です。

「習ってないところもあったよね?」

「はい」えっ、それだけ・・・会話が続きません笑

「習ってないところはどうしたの?」

「自分で・・・いろいろ・・・」うーん、はっきりしません笑

 わかりにくいと思います。生徒の名前は、2年7組緒方耕太君。中央に入って商業科目に目覚め現在4種目1級ということは知っていましたが、このたび、数学検定準2級にも合格していました。わたしの知る限り、総合ビジネス科からははじめてなはず・・・と言うのも、総合ビジネス科は週にある数学の時間数が2時間しかなく、とても教科書を終わらせることができないからです。でも、緒方君は・・・見事合格!

 

寡黙ですが、やる男です-

 

 今朝、教室に行って写真を撮りました。「ブログに書くから」と言うと、にやっと笑う緒方君。次は何を目指すのか。ビッグニュース、待っています!

心を動かし魂を揺さぶる

 本日始業式、スタートは1年芸術創造コース、前田遥君の演奏。ベートーベン作曲ピアノソナタ第8番『悲愴』の第3楽章。この難曲、いやピアノソナタの最高峰と称される超有名な曲を、動じることなく全校生徒の前で堂々と弾ききりました。すばらしかった。わたしの音楽ミーハーな気持ちも高まります笑

 

心を動かし魂を揺さぶる-

 

 音楽は言葉を超えます。音楽の力は世界を変えます。音楽の力は人と人とをつなぎます。今、世界では多くの地域や場所でたくさんの紛争が起こっています。人はなぜ争うのか?-

いい音楽を聴くとわたしはいつも思います。今日の演奏を聴いていた熊本中央高校の生徒達もおそらく、ゆったりとした静寂の中、人の心を穏やかにする音楽の力をしっかりと感じ取ってくれたと思います。

始業式の中で、「お互いを認め合い、尊重し、高めあって新しい価値を創っていってほしい。」という願いを述べました。これからの世界では、争いあうのではなく、いかに人間が他を認め、わかりあい、新しい価値を生み出せるのかが問われます。熊本中央高校はそんな学校でありたいとわたしは願っています。前田君、素敵な演奏をありがとう!

あまりにも感激したので

 藤崎宮にある碩台幼稚園の園長先生から連絡があったそうです。

 

あまりにも感激したので-

 

 今朝、園長先生をはじめ碩台幼稚園の先生方が藤崎宮表参道の松の葉の掃除をされていました。新年はじめの大掃除です。すると、そばで待っていた熊本中央高校の生徒3人が

「わたしたち、まだ時間があるので手伝います!」

と声をかけてくれて、およそ1時間、松の葉の掃除をいっしょに手伝ってくれたとのこと。

「高校生は、よくここを通って行くのですが、ほとんど見向きもしてくれません。でも、今日の3人が手伝ってくれてものすごく感激しました。それで、ぜひ電話でお伝えしたくて・・・」と園長先生。

 その3人とは誰なのか?さっそく福元先生の情報をもとに探しました。そして、つきとめました。1年5組金子乃亜さん、同じく5組田中麻衣さん、そして1年8組髙木朝日君。

「間違いないですよね?」とわたし

「はい、たぶん・・・」と松本先生

 偽善や打算ではない思いやりや優しさ、無償の心は時として人を感動させます。でも、本人たちはそんなにいいことをしたとは思っていないでしょう。当たり前に、そういったことができるすばらしさ。ぜひ、ほめてあげたいと思います。

すべてのことに意味がある

「プラス思考って言われるけど、よくないことが起こりそうで不安です・・・」

「そうそう、プラス思考でいても、不安はなくならないよね・・・」

 

 年末のことです。ふと、耳にした会話。なんとなく不思議な気持ちになりました。えっ、プラス思考ってそういうことだっけ・・・わたしは、プラス思考をそんな風には思っていなかったので、もちろん口ははさみませんが、それは違うんじゃないと言いたくなりました笑

 生きていればいいことも悪いことも起こります。ほんらいのプラス思考とは、何が起ころうとそれを自分のプラスとして受け止めることだと、わたしは思っています。

 

すべてのことに意味がある-

 

ということ。悲しいことも、辛いことも、楽しいことも、うれしいことも、そのすべてが自分を磨くこと、自分を鍛える糧になるということ。

 新年から、教室で必死に勉強している生徒達がいます。受験でうまくいかなくてリベンジにかけている生徒もいます。熊本中央高校の大切な生徒達です。今、がんばっていること、これまでの失敗もけっして無駄ではありません。それは確実にみんなの力になっています。エールも込めて、新しい年、この生徒達の未来を願うことから始めたいです。

校長室の外に出る

 人の書いた文章を読むことは大変です。なぜなら、書き手は読む人のことなど考えず、自分の書きたいことを書いてしまうから。-

 

 今年、校長ブログを書き始めて、いろいろな声をいただきました。

「校長先生、毎日読んでいます!」というたくさんの生徒達からの声

「校長先生、読んでいて涙が出てきました・・・」というありがたい保護者の方の声

「おもしろいですね~」というちょっと茶化した声

「毎日書きます。」と公言した以上、何をどう伝えればいいのか・・・熊本中央高校の何をどういった言葉で伝えればいいのか・・・日々、ずっと考えてきました。口癖のように「ネタがない」を連発して周囲を困らせたこともありました。不適切なことを書いて謝罪し、訂正したこともありました。そんな日々の中で、いつも思っていたこと

校長室の外に出る-

 

 授業もなくなり、自分はこれまで教師として何のために必死に努力してきたのかという言いようのない悔しさ、そんな悔しさに(ふた)をして、とにかく、校長室の外に出て、学校を見ること。結果的にブログを書くことで、わたしは校長室から外に出ることができました。

 たくさんの生徒達、そして先生方、たくさんの保護者の皆様のおかげで何とか今年一年ブログを書き続けられたことを心より感謝いたします。ありがとうございました!

 年明けからもまたブログを書き続けます。みなさんにぜひ読んでもらえるような、とっておきの熊本中央高校の今をしっかりと伝えていきます。

「学力」は変わる

 年末のサプライズ。1年生小川紗菜さん、島袋美海さん、北村歩翔君の3名が日商簿記検定3級に合格しました。-

 

「自分の「学力」にあった学校に行けと言われたので中央に来ました。」以前、担任をしていてそんなことを言う生徒がいました。衝撃でした・・・そんなことを言われて・・・学校の先生はよく可能性ということを口にします。可能性・・・可能性とは何なんのか?少し考えればわかりますが、誰でも変わることができる。誰でも成長することができる。そして、「学力」だって変わる、ということ。今一度あらためて言います。

 

「学力」は変わる-

 

 合格した3名の生徒達に尋ねました。

「中央に来てからがんばったの?」

「はい」

「中央に来てからやればできると思ったの?」

「はい」

 日商簿記3級合格。そう簡単なことではありません。でも、この3名は、先生方の指導を信じ、日夜必死の努力をし、この難関を突破しました。可能性は誰にでもある。ほんとうのことです。大切なことは、自分をダメと思わず、勇気を持って、逃げずに努力を続けること。そして、この3名はそのことが嘘ではないことを証明してくれました。

今年の終わり、多くの生徒達に希望をあたえてくれた話だったと思います。がんばりました!

「学び」の先にあるもの

『冬季課外、3年生、共通テスト高得点獲得・・・』職員室前方、黒板に貼られた予定表には、こう書かれています。-

 

「センター試験に挑戦させましょう!」15年前、森先生に言われた一言。その一言で今の特進コースは始まりました。わたしと森先生。当時の1年1組を何とかしようといろいろと語りあいました。数学の授業の進度が早くて「わかりません」を連発する生徒達。夏の暑い中、センター試験過去問20年分を生徒と一緒に解いたこと。あらためて受験数学が難しいと身に染みたこと。雪の中の本番。予備校や他校の(のぼり)が立った熊大の赤門。図書室にも勉強する所がなくて、椅子で勉強していたこと。いろいろなことがあって、いろいろな生徒達が、絶対に無理だと言われていた扉を開けてきました。そして今、若く優秀な先生方が、その中央特進の精神(スピリット)をしっかり受け継ぎ、さまざまな挑戦を実現させています。

 わたしは思います。特進コースは、ただ単に受験の成功だけを求めてきたのではない、と。あえて言えば

 

「学び」の先にあるもの-

 

 を求めてきた。それは、生徒達の成長であったり、時には悔し涙であったり、満面の笑顔であったり、不可能を可能にした喜びであったり・・・今年もまた中央特進コースは感動的なドラマを見せてくれました。最後の力を振り絞って、また新しい扉を開けてくれることを祈っています。

ハッピーバースデー

 先週、2年福祉リビングコースの魚料理実習に参加させてもらった際に

「校長先生、合唱部を見に来てください。」といきなり声をかけられました。

「えっ、合唱部なの?」

「はい、合唱部の西薗です。」と笑顔でアピールする西薗さん。なかなかグッドです笑

 確かにここ最近の合唱部の活躍はめざましい。そうか・・・合唱部かと思っていると、

「校長先生、わたし終業式が誕生日なんです。」と同じ班の西村さんがカミングアウト。

なるほど、ふむふむ、ということは・・・そこで、いいことを思いつきました。

「だったら、西薗さん、終業式にハッピーバースデーを唄ってよ。」とわたし

「えー」と西薗さん。

「いやいや、合唱は人に聞かせてなんぼでしょう?」とこうなるとわたしは止まりません笑

「まあ・・・」

ということで、本日終業式。2年6組の教室にハッピーバースデーを聴きにいきました。

 わたしが教室に入ると、「なになに」とざわめく生徒達。そうでした。そう言えば勝手に決めて、勝手に実行していました。やると決めたらわたしは止まりません笑

「西薗さん、ハッピーバースデー、いきましょう。中礼先生いいですか?」となかば強引に許可を、しかもそのときに求めるわたし。ただ、中礼先生は人間ができています。

「はい」

 2学期の最後。そして1年の最後に誕生日の仲間のためにハッピーバースデーをクラスみんなで唄う。やっぱりクラスはこうでないと。微笑ましく、なごやかな時間でした。

感動を知る

 3年生の看護科の病院実習が終わりました。実習で学んだことを発表する会です。後ろの席でじっと見ていると、「質問があります!」と手を上げる生徒。あらっ、どこかで見た顔。そもそも、マイクを持って走り回っている生徒・・・あっ、と思いました。夏休み校長室にわざわざスイカを届けてくれた甲斐さんではありませんか。えっ、質問しているのは、その相棒の坂根さん・・・質問の内容は、素人のわたしには記憶に残らないものだったのですが、立派なことを言っているということは、よーく、わかりました。二人とも、しっかり看護学生やっているじゃありませんか笑

 

感動を知る-

人と関わる仕事で大事なことです。人というのは機械ではありません。思い通りには動いてくれません。悲しいことや悔しいことに打ちひしがれることだってあります。でも、だからこそ、そこには得難い感動があるとわたしは思っています。それは教師も看護師も同じです。3年看護科のみんな、たった1時間程度しか聞いていなくて申し訳ないですが・・・そんな感動の断片を一生懸命語るみんなに、心洗われる思いでした。実習、よく頑張りました!

いろいろあってかまわない

 朝から通用門に立っているとわたしの前をちらっと見て通り過ぎる生徒。

「おっ、迫口」とわたし。2年7組、迫口心温です。

「おはようございます。」

「久しぶりね、ちゃんと学校来てる?」遅刻が多く、教室にいないという噂を聞きます。

「来てますよ~」と迫口。

 おっ、元気な返事。ちょっと安心です。

「先生、数学85点でした~」

「えー、ほんと・・・」若干失礼なわたし笑

「はい!」

 迫口は、昨年、わたしの授業で「全部、わかりません」を連発していました。授業中は真剣です。寝たりさぼったりはしません。真剣に聞いているなーと思ってそばに行くと、またまた「全部、わかりません」笑 ちゃんと聞いていてわからないのはわたしの責任と約束しています。だから、もう一度教えます。ただ、1年生の頃には、そのがんばりがかたちにならなかった・・・申し訳ない。でも、2年の後半になって、がんばりがやっと実を結んだ。迫口は、家では弟妹の面倒を見る、いいお姉さんだそうです。徳本先生も苦労しました。でも、あらためて思います。

いろいろあってかまわない-

 

 失敗したり、うまくいかなかったり、喜んだり、悲しんだり・・・高校生活はいろいろあっていいんです。わたしたちは、それを成長だと思っています。そして、何より生徒達のそんなありのままを大切にしています。迫口、また話題にします。がんばるように

親思う心にまさる親心

 中央の後援会。すごいんです。こんな後援会、なかなかないと思います。

「卒業する3年生は、化粧ってどこで学ぶんですか?」

「お金の使い方とか・・・口座の作り方とか・・・教えたらどうでしょう?」

「洋食だけでなく和食のマナーも必要ですよ~」

 

 

 そして、最後は「校長先生~」です笑 もちろんわが子のためですが、それだけではなく中央愛がものすごい。やっぱり、みなさん中央が好きなんです。そして、もちろん我が子がかわいいんです。当たり前と言えば当たり前ですが・・・これだけわが子を思う親御さんがはたしてどれぐらいいるのか。みなさんの声に圧倒されるとき、わたしもまた生徒達にとって、後援会の保護者の皆様にとって、絶対によりよい熊本中央高校にしていかねば、とあらためて気合が入ります。

親思う心にまさる親心 今日の訪れ何と聞くらん-

吉田松陰

 

 明治維新の志士、吉田松陰はその若き命を刑場で散らさねばならなくなったとき、辞世の句としてこう詠みました。子が親を思う気持ちよりも親が子を思う気持ちは強い。もしかしたらわかりきったことかもしれませんが、あらためて、感謝の気持ちを持たねばと思います。中央の生徒達。みんなの親御さん、そして後援会はすばらしい。感謝の気持ちを。

テストがあろうとなかろうと

 3年総ビ担任の中野先生が

「いつでも見に来てください!校長ブログに~」と熱く訴えていたので、朝から3の7に-

 

 階段を上がると廊下から教室の中が見えます。うんうん、みんなタブレットを真剣に見つめ集中しています。中野先生の言った通り、さすが・・・と思って教室の窓から教卓を見ると、そこに仁王立ちしていたのは、なんと橋本麻衣子大先生。あらっ・・・中野先生は?なんだ、なら、当然と思ってしまうわたしはおかしいでしょうか笑 中野先生は何処に・・・勢いにのって3の8の教室にも向います。教室に入ると笑顔で振り向く生徒達、3年総ビ大人です。それはともかく写真を撮ります。男子が、わたしに顔と視線を向けます。「いやいや、カメラ目線はいらないから笑」。そんなやり取りを見て、にやにやと笑う生徒達。これはけっしてやらせではありません。みなさんにお伝えしたかったのは、3年総ビは

テストがあろうとなかろうと-

 

がんばっているってこと。卒業まであと20日あまり。たとえ、そうだとしても3年総ビは朝の時間を無駄にはしません。それぞれの勉強に懸命に取り組んでいます。というオチにしたかったのですが・・・笑 まあ、いいとしましょう。それもまた3年総ビの成長だと思います。残り少ない熊本中央高校での日々、悔いなく卒業を迎えてくれることを願っています。

頭の中を音楽に

 今、中央高校の吹奏楽部が急成長しているのをご存じでしょうか?-

 その立役者、荒木先生の音楽理論の授業。音楽理論と聞いて構えない人はいないはずです。わたしも同じです。さぞや格調高く、難解というイメージ・・・でも、実際の授業はまったく違いました。

 荒木先生のやさしい語り口。自然短音階、和声短音階、旋律短音階。言葉としては難しいですが、荒木先生は、ひとつひとつ生徒達に声を出すことで、その違いを確認させていかれます。やっぱり音楽は歌声です。

 基本の旋律をもとに新しい旋律を創っていく課題。

 

頭の中を音楽にして-

 生徒達は、そんな荒木先生の言葉に、どんどんどんどん新しい旋律を生み出していきます。

「心で歌いながら創って」

「これ・・・歌えるかな・・・笑」

 授業後半、自分で創った旋律を実際に歌ってみます。なかなかのものです。作曲家みたい笑 少人数の授業ですが、この授業では今われわれ教師が忘れてはならないものが大切にされていると思いました。それは、月並みな言葉ですが、主体性-

 受け身ではなく、自ら進んで考え、創り出す。なかなかできないんですこれが・・・いい授業だったと思います。荒木先生、ありがとうございました。

中央福祉が目指すもの

 

 朝、職員室前方の黒板に『訪問入浴』の文字。見かけた2年福祉リビングの生徒達に

「訪問入浴って裸で入るの?」とわたし

「えー違いますよ~」と若干奇異な目で見る生徒達

古川先生に詳しい話を聞くと、「いやいや、服を着たまま入ります。」と苦笑い。わたしはそんなにおかしいことを言っているのか・・・まあ、それはともかく時間が来たので管理棟合同教室Ⅱに急ぎます。中に入ると、ハイテクなお風呂装置が設置されていて、なぜかそこに森先生が・・・なんで森先生なのか笑 いやいや、紙面がなくなる・・・冗談を言っている場合ではありません。

 

中央福祉が目指すもの-

 

 人が人をケアする。頭で考えるよりも大変なことです。なぜ、大変なのか-

 人は誰一人同じではありません。優しさや思いやりに一般的な法則はありません。福祉の現場は、人がそんな奥深い存在であることを認めることでしか成り立たない大変な仕事です。でも、今回『訪問入浴』を実演していただいた(株)セントケア九州の末廣さんは

「いろいろな方がいて、とってもやりがいを感じています。」

とおっしゃっていました。生徒達には、本物の福祉のプロになってほしい。だからこそ、今世の中で活躍されている福祉の専門家の方々に来ていただき。心技体、すべてにおいてその本質(エッセンス)を吸収していってほしいと願っています。

「哲学」の勝利

 ちょっと肩入れし過ぎかもしれませんが・・・中央「哲学」ガール、原田依蕗が見事大学に合格しました。

自分(・・)()言葉(・・)で必死に考えている若者を不合格にするような大学には行かなくていい。」

 わたしは、受験前に担任の一宮先生にそう言いました。もちろん本音です。「また、そんなこと言って・・・」と一宮先生。ただ、もしも「哲学」という学問が知識や権威の閲覧なのではなく、「考える」という行為こそ大切だと主張するのならば、大学は、そういった若者達の純粋な姿勢こそ尊重すべきだとわたしは思います。

 

「哲学」の勝利-

 

 

 ここ最近、若者たちが熱くない笑「そういうものだ・・・」とか・・・「なぜ?」「どうして?」といったことを考えようとしない。いいのか悪いのか、判断しようとしない。いわゆる「哲学」で言うところの判断(エポ)停止(ケー)。でも、ほんとうにそれでいいのか?もちろん、考えない方が楽です。大人たちだって面倒くさくない。ただ、それではだめです。自分に関わるあらゆることを自分の言葉で必死に「考える」若者が増えていってほしい。時代は、若き力を「考える」力を求めています。中央の後輩たちが、「考える」ことで原田依蕗に続いてくれること。-

わたしはそう願っています。合格、おめでとう!

なりたい自分、これからです!

「塩田先生、就職が決まったので挨拶に来ました~」

「えっ」

 

 視線を向けると、そこには懐かしい顔。「お~」とわたし。卒業生の東さんが、担任だった柚留木先生のところに、大学を卒業して夢だった保育士になれたことを報告に来たそうです。東さんは、わたしが最後に学年主任をしたときの生徒です。もうずいぶん昔に感じます。残念ながら2年生以降は学年主任ではなくなったのですが、東さんは2年生で生徒会長になると、何事も前向きに、めげずくじけずがんばっていたことを思い出します。

 


なりたい自分、これからです!-

 

 学生時代、子どもが好きで保育士になりたいと言っていたこと。本人は覚えてないかもしれませんが、わたしのところに面接練習に来て、ちょっとだけ厳しく言われて落ち込んでいたこと笑 難しい話題に必死でついていこうとしていた授業中のひたむきさ。そんな熊本中央高校での思い出の数々が「なりたい自分」に結びついていったとしたらうれしいことです。

われわれは、関わった生徒たちすべてが自分の人生を自分らしく、悔いなく生きていってくれることを願っています。苦労や困難もあるかと思います。でも負けないで、「なりたい自分」を磨いていってほしいと思います。東さん、報告ありがとう!

 

音楽への情熱

音楽室に入ると、生徒達の発表はあらかた終わっていました。残念。

本日は、芸術創造コース音楽選択者発表会。特に今回は、前半のピアノに注目・・・ブラームス、ベートヴェン、バッハ、ショパンと名だたる作曲家の作品が演奏されます。なぜか音楽だけは、超ミーハーで、バリバリ権威主義のわたしにはたまらないラインナップです笑 でも、結局ばたばたしていて聴くことはできませんでした。生徒達がどんな演奏をしたのか・・・次回からはぜひ動画に残してほしいものです。

ということで、もう一つの楽しみである教員演奏。毎回、生徒達の発表の後に、わが校が誇る音楽の(たくみ)たちの演奏があります。今回は大塚先生と復帰されたばかりの田口先生。ロシアの作曲家スクリャービンの『左手のための夜想曲』。大塚先生が、生徒達に囲まれる中、流麗な旋律を見事に左手だけでつなげていかれます。「おー」と驚愕する生徒達。ラストは、田口先生。有名なジョルダーニの『Caro mio bem』冒頭のフレーズの声量だけで圧倒されます。久しぶりです。

音楽への情熱-

 

 演奏のグレードの高さはもちろんですが、わたしは2人の先生方の情熱にいつも敬意を表しています。やっぱり高校の先生は自分の教科に対する情熱がないといけない。こだわりがあって、ゆずれないものがある・・・そういった情熱が生徒達の心を動かす。そう思っています。

幸福ホルモン

 2年生の人権講話に参加しました。『生物教師による人権講話』。担当は鎌賀先生。先生らしい(いき)な企画です。なるほどなあ、という話がいくつもありました。

「人間は、進化の過程で自発的利他行動を身に付けてきた。」

「自発的利他行動を維持するために、人間は脳内ホルモンを分泌する。」

「ほめられたり、認められたり、人の役に立つとドーパミン(脳内ホルモン)がたくさん出る。」

 

 生物としての(ヒト)が、なぜ損得ではなく他人のためにがんばれるのか、その理由を理論的に解き明かしていきます。さて、2年生の生徒達はどうしていたのか?―

 少々難しい言葉や話があり挫折している生徒もいましたが、普段、絶対に聞くことはないであろう話題に食い入るように聞き入っていた生徒達もたくさんいました。印象的だったのは

 

幸福ホルモン-

 

 誰が名付けたのか、このネーミングはなかなかグッドです。人のためになる。人の役に立つことで幸福ホルモンが分泌され、清々(すがすが)しい気分になると言います。ということは日頃からそう心がければいい。なるほど・・・いい講話でした。根拠(エビデンス)のある学説に基づいて人について考えるということ。生徒達にとっては、人権というよりも、そういった「知の世界」を垣間見るきっかけになったのではないかと思います。

 

誰一人同じではない

帰り際、たまたま会った岩根先生と吉川先生。

「例年よりもよかったと思います。」

「えー、ほんとですか?」と岩根先生。

「いや・・・1時間しかいなくてすいません・・・」

 

 専攻科2年生の『看護観発表』-

 当日は、午後から予定がいくつか入っていて全部聞くことはできませんでした・・・この日まで必死に準備してきた専攻科の2年生にはほんとうに申し訳なかった。ただ、これまでよりもいい発表だなあという印象でした。

誰一人同じではない-

 

 学生達の発表を聞いていてそう思いました。そして、ちゃんとそのことがわかっている、と。わたしも、最初に話す機会があったので、がん看護専門看護師田村恵子さんの話を引用させてもらい。患者さんは誰一人同じではない。孤独な人もいれば、家族に囲まれている人もいる。不安な人もいれば、生きることに執着している人もいる・・・看護師を目指すみんなにはそのことを忘れてほしくない、という話をしました。でも、わたしに言われるまでもなく学生達はちゃんとわかっていました。たった1時間だったけれど、学生達の発表は、ほんとうに清々しく、立派なものだったと思います。

 2月の国家試験、みんなの思いがきっと届くことを心から祈っています。

希望の虹

「なりたい自分」になるために、中央に来た生徒がいます。

「なりたい自分」を中央で見つけ、それを目指している生徒がいます。

失敗してもあきらめず、「なりたい自分」にこだわっている生徒がいます。

 「なりたい自分」。-そう簡単なことではありません。そんなに甘いはずもありません。悔しい思いをしたり、涙を流したり、挫折したり、傷ついたり・・長らく教師をやっていますが、うまくいかなかった生徒達のこと、けっして忘れることはありません。

 今週末、「なりたい自分」になるための闘いに生徒達が挑みます。まさしくそれは闘いです。その中には1度は上手くいかなくてリベンジに賭ける生徒もいます。どうやったら限界の中で最善(ベスト)を尽くせるのか。何をどうすれば合格がつかめるのか。先生方も、生徒達も必死に考え、時を費やし、努力を重ねてきました。

昨日、学校の外に出る機会があって、思いがけず雨曇りの海に射す虹を見ました。古くから虹は幸運の象徴と信じられてきたそうです。何となくですが、きっとうまくいく

 

希望の虹-

 

であってほしいと願いを込めました。わたしは、神様仏様、占いなどは信じない人です。でも、今回ばかりは、神様でも、仏様でも、虹でも何でも・・・信じたいと思います・・・

 生徒達の力が100%発揮されること。心から祈っています。

独学ではだめなのか?

〇〇がやりたいから〇〇大学に行きたい。-

 

 今年、面接練習をしていてよく聞いたフレーズです。ついついこう思ってしまいます。やりたいなら今からすればいい、と。今の時代、やりたいと思うならスマホ一つあれば実現可能な時代です。それに、これまでよりもスピードが求められる時代。大学に行って時間をかけるより、できることは自分でどんどんマスターしていった方が、コスパがいいとは思わないでしょうか?ようするに

独学ではだめなのか?-

 

ということです。何かを学びたいと思うとき。何かを取得したいと思うとき。学校に行くことや誰かに習うことを前提にしてしまう。これまでのように、ゆるやかで、牧歌的な時代なら別にそれでもかまわないでしょう。でも、今はsociety(ソサエティ)5.0の時代。情報はどんどん更新され、何が正しいのか誰にもわからない不確かな時代です。もしもやりたいと思うことがあるのなら、さっそく独学で始めてみてはどうでしょう。独学は難しい・・・いやいや、意外とできるものです!

たどりつくこと

 3年看護科は最後の実習に挑んでいます。2週間すべて病院に行くのではなく、1日は校内に残って実習準備に励みます。その様子を見に行こうと予定していたのですが・・・朝からばたばたしていて失念。

「えっ、今、合教Ⅰにみんないますか?」とわたし

「いや、もう、それぞれにわかれて実習準備に入っています。」と濱田先生

 大慌てで合教Ⅰへ。田崎先生が、杉村病院担当の生徒達に説明をされていました。あわてて写真撮影。その足で1・2号館3の9、10の教室に。やる気満々、生徒達がスタンバっていました。いい表情をしています。もちろん、生徒達と直接話したわけではないのでその胸中を知ることはできません。ただ、言いたいことはあります。それは


たどりつくこと-

 専門学科である以上、どうしても途中でドロップアウトしていく生徒がいます。残念なことです。でも、なんとか最後までたどりつけば、どうにか国家試験をクリアーすることで看護師への道が開けます。長年看護科を見てきて思います。先輩達だって、そんなに順当にいったわけではない、と。なんとかたどりついて、なんとか乗り越えて、やっと看護師になっています。けっしてあきらめないで・・・今の看護科の生徒達もそうであってほしい。看護科に競争はいりません。仲間同士協力し、この厳しい看護への道の頂にみんなでたどりつけるように・・・わたしは、心からそう願っています。

何かに挑むということ

 中央ならではの光景↓-

 期末考査前日の校内の模様。「教室では静かに勉強している人がいるから廊下に出てお互いに教えられるようにしているんです。」と西田先生。生徒達の「わかりません」には、先生方がマンツーマンで教えています。やらせではありません笑 

ほんとうは、校内をくまなく周って、試験勉強に必死に取り組む生徒達の姿をすべてお伝えしたいのですが・・・職員室の近場だけになりました・・・ご了承ください。

何かに挑むということ-

 

 テストで点数を取ることが教育の目的ではありません。もちろん、授業の目的でもない。ましてやそこに競争を持ち込もうとは思っていません。ただ、生徒達が、必死にがんばろうとしている。そんな姿を中央の先生方はほっときません。学力がどうのこうのよりも、何かに挑む力を付けたい!わたしたちは、日ごろからそんな思いを持って生徒達に関わっています。たかが期末考査ですが、されど期末考査です。その背景には、生徒達と先生方の思いとこれからがたくさん詰まっている。結果だけではなく、がんばったという過程(プロセス)をほめてあげたい。熊本中央高校は、そんな学校です。わたしは、そんな風に思っています。

 

大切なのはストーリー

 中央始まって以来初の快挙です。3年1組谷昭見、熊本市消防局に見事合格!誰もが、まさか合格するとは思っていなかったはず・・・指導したのは小森先生。

「すごいですね。先生の指導のたまものです。」

「いやいや、多くの先生方が応援してくださいました。学校(・・)()()です。」

 一流の人は謙虚です。けっして自分のおかげ、とか、自分が、自分が、とは言いません。

 今年4月から始まった2人の闘い。いろいろな可能性を考えていた谷に、公務員試験への挑戦を促した小森先生。それからの道はけっして甘いものではなかったはずです。何をすれば合格するのか?的確な方向性を示す小森先生。ひたむきについていく谷。多くの人は、結果にばかり囚われます。結果に結びつかなければ見向きもされません。でも・・・

 

大切なのはストーリー-

 

 わたしはそう思っています。決して甘くはないストーリーが、人を強くし、成長させます。たとえ結果は出なくとも・・・熊本中央高校は、そんなストーリーのたくさんある学校です。

 谷と小森先生、おめでとう!まだ進路が決まっていない3年生、次はあなた達の番です。とっておきのストーリーを期待しています。

自分の言葉で

 世界とは何なのか?自分とは何なのか?-

 

 中央が誇る「哲学」ガール。3年1組原田()(ぶき)。2度目の登場です。果敢にも「哲学」マニアのわたしに面接を挑んできました。いい度胸です笑 

「哲学とは何なのか?」と聞かれるかと思って

「そんなこと聞かんよ~笑」

 

 わたしは、こういうシチュエーションでめったにほめません。ほんとうのことを言います。原田の話、文句なしに素晴らしかったと思います。世の中には、哲学者の〇〇が~言っている・・・とか、それは〇〇だ・・・とか、一見すると賢そうに見えて1秒も自分の頭で考えず、権威と言う名の他人の言葉に(おもね)って雄弁を気どるつまらないインテリもどきがたくさんいます。

 

自分の言葉で-

 

 少なくとも原田は、自らに沸き起こる「哲学」的な問いを他人の言葉に頼らず、自分の言葉で必死に掘り下げていました。わたしは思います。われわれ大人は、こういった若者にこそ権威や忖度といったつまらないことではなく、ほんものの学問、ほんものの「哲学」を用意しなければならない、と。世界とは何なのか?自分とは何なのか?-

 原田依蕗よ、またともに「哲学」しましょう!

勇者であれ!

 入試不合格の報が届きます。生徒、そしてかかわった先生方も深く傷つきます。こんなにがんばったのに・・・何のための努力だったのか・・・自分達の力不足に心は沈み、立ち上がれないほどのショックを受けます。でも、あえて言いたい。

 

このまま終わってもいいのか!-

 

 人は試されます。苦しいとき、失敗したとき、もうだめだと思うとき・・・そんなときに、その人のほんとうの力が・・・失敗に落ち込み困難から逃げる人生を歩むのか。いつまでもくよくよして嘆き続ける人生を続けるのか。

11月9日の入試説明会、来てくれた中学生のみなさんにわたしはこんな話をしました。

 

「熊本中央高校は勇者を育てたい。失敗を恐れず挑戦(チャレンジ)し、たとえ失敗してもまた立ち上がることのできる勇者を-」

 

負けてもまた次がある。人生の挑戦とはそんなものです。勇気を持つこと。-

 もちろん先生方も同じです。今、わたしも入試に向けてある生徒と関わっています。関わった以上、絶対に全力を尽くします!妥協はしません!

不合格に打ちひしがれている生徒達。まだまだ終わってはいない。次の挑戦があるはずです。試験終了の合図があるまでけっしてあきらめないこと。

勇者であれ!わたしからのエールです。

英語は言葉です。

 10月23日(水)に大々的に熊本市で開催された『世界津波サミット』。2年特進コース、池田さん、岩崎さん、柏尾さん、松本小さん、そして2年芸術創造コース、ご存じ生徒会長の下川さんが、防災に関するプレゼンとディスカッションに世界各国の若者たちと一緒に参加しました。熊本中央高校にとっては画期的、いや歴史的なイベントになりました。もちろんコミュニケーションはすべて英語。

ということで、のびのびになっていた取材です。

「昼休み、13:30にサミットチーム、校長室にいいかな?」とわたし

「はい、大丈夫です。」と池田さん。

 さすが、大舞台を経験した生徒達は、時間に厳格です。1秒と遅れず13:10ちょうどに校長室に

「失礼します!」普段、閑散としている校長室に明るい声が響きます。

 わたしも、生徒達のせっかくの昼休みを奪ってはいけないと、事前に質問を3つ準備していました。

「きっかけは何だったの?」

「やり終えた感想は?」

「これから何につなげたい?」

 われながらいい質問です笑 アルワザニ先生のおかげ、グローバルを知ったこと、コミュニケーションの大切さ、協力することの大切さ、参加した人たちのやさしさと誠実さ・・・等々、さすが、中央が誇る立派な生徒達です。いいコメントです。でも、そんなみんなのコメントの中で一番印象的だったのは

 

英語は言葉です。-

 

 という話でした。世界各国の人たちとコミュニケーションがとれる。文法とか構文とかそういうことではなく、片言でも、単語だけでも、人に自分の言いたいことや思いが伝わる。英語は言葉です・・・とっても印象的でした。以前、アルワザニ先生も授業中に言っていました。「書けるだけではだめ!話せないと意味がない。」と-

 

 またとない経験をしたと思います。そして、熊本中央高校に新たな勇気をもたらしてくれたと思います。よく、がんばりました!

「しめる」力

 1限目、2年生の進路ガイダンス。ちょっと遅れて体育館に入ります。
 
「この時間、しっかり学ばなかったら意味がないんだ!どこ見て話を聞いている。真剣になれ!」
 学年主任の森先生の激が飛びます。いや~実は、このために体育館に来ました。森智也は妥協しません。熱いです。これが大事なんだよな~と思います。今の中央に一番欠けているもの。いい意味で生徒を「しめる」ことができていない。当たり前ですが、生徒の力を引き出すのが教師の仕事です。何もせず、何も言わず、ただただ勉強を教えているだけなら教師はいりません。それに生徒達も育ちません。育たないどころか易きに流れてしまいます。
 多くの人は、叱ったり、注意したりできないことを時代のせいにします。でも、それでいいのでしょうか?「しめる」というと言葉は悪いですが、この力もまた教師の実力の1つです。いい教師は、生徒を「しめる」技術を持っています。教室に緊張感を生み出す力を持っています。
今日の体育館での2年生の態度。真剣でした。顔を上げてうなずき、メモを取り・・・それは、冒頭の森先生の熱い思い、そして「しめる」力が生徒達を動かしたからです。
 ここ最近、各学年、授業中に問題が多いという話を聞きます。でも、体育館ではちゃんとできる。なぜでしょうか?-
 
 どんなに理屈を並べても、教育は人と人とのかかわりです。それも教師と生徒の。
教師に、絶対何とかして見せる!絶対に成長させて見せる!という熱い思いがなければ、生徒達の持っている力を引き出せません。そこに妥協したら、生徒をダメにする・・・
 
「しめる」力-
 
 若いころ、先輩の先生方が荒れた生徒達に一生懸命迫っていたのをたくさん見てきました。いい悪いはともかく、そういった中で、教師には「しめる」力、熱い思いがないと生徒達の心は動かせないってことを痛感してきました。教師の思いが本気かどうか・・・生徒達はいつだってそれを見ています。
 2年生のみんな。聞く態度、取り組む姿勢。よかったと思います。来年は学校の柱です。期待しています!

「見えない学力」を

 白坂先生、ほんとうに申し訳ない。せっかく指導案を持ってきてくれたのに研究授業を見に行けませんでした。ただ、指導案をさっと見た感じ、いい授業になるだろうなってことはわかります。ということで、百田先生に
「研究授業、見に行けないから、取材してきて~」
とお願いしました。今日のブログは、百田先生のコメントにかかっています笑
 5限目、百田先生を廊下で見かけると
「今、空いている?」と少々強引に連れてきます。
「なら、結果を端的(・・)()お願いします。」とわたし。すると
「題材は知っていたのですが、授業の持って行き方次第なのだなと思いました。自分なんかは、題材を知ったとしてもなかなかうまくできないので・・・(略)・・・で、班で話し合わせるのも大切だなと思いました。」
 お願いしておいてダメ出しするわたしは無礼者ですが。う~ん、長すぎる笑 ようするに、いい授業だったということでしょう。まあ、授業を見てもいないのに言うのは僭越(せんえつ)ですが、『ハノイの塔』、そして『フィボナッチ数列』は数列の代表的な題材です。正直、白坂先生の実力なら、いい授業になるのは間違いないかと思います。
数学科は現在、研究授業をやっています。いいことだと思います。わたしも、これまでの授業観ではダメだなと思っています。「教える」授業の型はある程度出尽くしています。もう研究授業で「教える」ことを問題にするのは古いだろうなと思っています。さらに言えば、「見える学力」(問題を解く力等々)を確かめる授業もやがてなくなるでしょう。では、何が大切か
 
「見えない学力」を-
 
 難しいテーマです。ただ、そのためにはどういった授業をするべきか、わたしも当然考えていますが・・・残念ながら出番がない笑 誰か出番をくれ~って感じです。
 白坂先生、研究授業お疲れ様でした。3年4組、しっかり授業に取り組めていたと百田先生がほめていました!

無限と連続

 熊本大学理学部・杉崎先生に、学生さんたちといっしょに特進コース1・2年生に特別授業をしていただきました。テーマは「無限」。最後まで聞きたかったのですが所用があって最初だけ・・・残念。
『無限と連続』(遠山(ひらく)著)-
 
 昔の話です。留年の決まった大学4年の秋、数学に挫折しあきらめていた頃、この本に出会いました。『もしも数学が難解なだけならば、原子の世界や宇宙のかなたまで人類を導けたはずはない。』遠山啓の言葉は、難解な現代数学が、実は数学史に名を残す天才たちの人生を賭けた叡智であり、かけがえのない文化なのだということを、わたしに教えてくれました。数学は面白い。その夜、夢中になって一気に読んだことを憶えています。それ以来、やっぱり数学は難しく、いろいろな失敗や挫折もたくさんあったけれど、この本に出会っていなかったらこれまで数学の教師を続けてくることはできなかった。そう、思っています。
実は、「無限」(第1章「無限を数える」)はこの本の最初の章で紹介されています。だからわたしにとっても懐かしく、思い入れがあります。
 
 この夏、わたしも「無限」について特進の1・2年生に授業をさせてもらいました。聞くところによると、わたしの(つたな)い授業のせいで「無限」について、生徒達も先生方も、もやもやした気持ちが残っていたそうです。それは、ほんとうに申し訳なかった。ただ、今回の杉崎先生の「無限」の授業を受けて
 
「夏からあったもやもや、が晴れて、数学は面白いと生徒達、先生方が言っていました!」
 
と一宮先生が教えてくれました。それは、よかった。安心しました。
 
数学は面白い-
 
 多くの人たちが、こう思ってくれること。それが、数学の教師であるわたしの喜びです。杉崎先生をはじめ、理学部の学生のみなさん、ほんとうにありがとうございました!

忘れてはならないこと

 1年生が入学して半年がたちます。入学したときの気持ち、忘れていないでしょうか?高等学校はただ卒業するために来る場所ではありません。
 
何がしたいのか?-
このことをしっかり考えること。
本日、1年普通科コース分け説明会。1年生がどうしているのかと思って体育館に向いました。総合探究コースの説明。普通科長の岩下先生の話は、わかりやすく、中央の総合探究コースが何をしているのか、何をがんばっているのか、生徒達にちゃんと伝わったと思います。続いて、福祉リビングコースの古川先生。「優しさのプロ」をいつになく熱く語る姿は、驚きとともにある種の感動を誘いました。あらためて福祉に燃える男だったのだな、と確信しました笑
 生徒達は、メモを取りながら、時にうなずきながらしっかり話を聞いていたようです。この日集まっていただいた保護者の皆様は50名ほど、ほんとうに熱心に話を聞いていただき、総合探究コース、福祉リビングコースがどんなことをやっているのか、わかっていただけたかと思います。
 
 昨今、校内を見回ると、授業のチャイムが鳴っているのに廊下をうろうろしている生徒達。やたらとトイレに行っている生徒達に出会います。授業の様子を見ても、授業なのか、遊びなのかわからない状況を見ることもあります。もちろん、生徒達だけの責任ではありません。その状況を放置している先生方も問題です。ただ、ここで考えてほしいことは、高校生活が乱れて困るのは誰なのか、ってことです。
 
中央で何がやりたいのか?-
 
 もう一度思い出してほしいと思います。みんなは、中央で何かをやるために中央に来たはずです。そういった志を見失うとき、今後の人生を左右するはずの大切な高校生活が台無しになってしまいます。
 今日のコース分け説明会が、今一度、そのことを思い出させるものになることを祈っています。何のための高校生活か・・・忘れないように。

「創造」があること

 同志社女子大学『SEITOフォト‘24』で3年生の小嶋香莉奈さんが入選をはたしました。
入選作品は↓こちら。『野良猫のひそかな想い』。-
 今、わたしはこの作品を見ながら文章を書いています。「ひそかな想い」。確かに、じっと見つめていると、野良猫の想いに想像がリンクしていく。こんな狭い空間に身を潜め、じっと世の中を見る・・・自らの不遇を思うのか、さりとて、これからの希望を見つめているのか。言われないとわかりませんが、写真というのは不思議なものです。ただ、単に風景を写実しているだけなのに・・・これほどまでの奥深さを味合わせる。たった1枚の写真の中に

まだ見ぬ真実がある。-
 
 大げさな表現かもしれませんが、ここ数年、岡本先生率いる写真部の作品に邂逅(かいこう)するたびに、そういった思いを持つようになりました。どうして写真部にこだわるのか?-
 このブログでは、よく写真部が登場します。もしかしたら、どうしてだろう?写真部ばかり・・・と思われるかもしれません。でも、わたしが思うのは
 
「創造」がある。-
 
 ということです。学校は、その機構的に、何も考えず何も工夫しなければ、ただ単にありきたりな「知識」をただ伝える場所になりがちです。実際そうです。未だに「知識」偏重です。でも、そういった学校はやがて終わります。なぜなら、そこには、「創造」がなく、主体性もなく、何より面白さがない。ここに古びた学校の避けがたい宿命があります。この宿命を打破していく。未来の学校は、それを迫られます。これは避けられません。
「創造」があること。これからの学校に求められています。もちろん写真部だけではありません。どんな活動にも「創造」を生み出す契機(けいき)はあります。わたしたちがそのことを意識し、懸命に努力しさえすれば・・・問われているのは生徒達ではなく、われわれなのだと思います。

来たれ中央に!

中央の授業は違う。中央の授業は面白い。-
 
 「面白い」をどう解釈したのか不明ですが、なぜかサザエさんが始まります。カツオ君に扮した永岡先生。わざとのようにいいタイミングで台詞を忘れます。舞台袖で
 
「寒くない?」とわたしが聞くと
「寒いですよ~」と永岡先生らしい正直さ笑
 
 武士の情けで画像だけは掲載しませんが、いい味だしていました。まあ、それはサブストーリーなので、ほんらいのメインストーリーである入試問題の解説。授業はどうだったのか?中学生のみなさん、よくわかったでしょうか?今日来てよかったと思ってもらえたでしょうか?-
数学は、何が出題されるのか発表しました~笑 聞いていましたか?あれ(・・)これ(・・)は確実に出ます。わざわざ土曜日に熊本中央まで足を運んでいただきました。にもかかわらず、何のお得な情報もないまま帰ってもらったら申し訳ない。来てくれたみなさんには得してもらう。熊本中央数学科からのプレゼントです。
さて、今年度の生徒募集も一段落です。夏のオープンスクール、9月のオープンスクール、そして今日の入試説明会。その間であった特進コースのオープンスクール。わたしたちが中学生のみなさんに伝えたかっとこと。
みなさんの「なりたい自分」。中央で挑戦(チャレンジ)してみませんか?-

偏差値、学歴、高校序列・・・長らくはびこる、そんな古びた「思い込み」。そんなものはとうの昔に終わっています。何のために高校に行くのか?自分はどんな高校生活を、どんな未来を描きたいのか?よく考えて熊本(・・)中央(・・)高校(・・)を受験してください笑
来春、坪井川に桜が咲き誇る頃、またみなさんと出会えることを楽しみにしています!

善には善の報い、悪には悪の報い

 おとといの朝でした。以前もブログに登場したバドミントン部の馬場君に
「なんか、男バドの1年生がいいことしたらしいけど・・・」と尋ねます。
「わかりました。1年生を呼びます!」とすかさず協力的です。

  以前、顧問の長谷川先生から話を聞いていたのですが、取材不足のせいでなかなか書けず、なので、満を持して今回あげようと声をかけました。その日の休み時間、そんなことも忘れて校長室にこもっていると、トン、トンとドアをたたく大きな音。「どうぞ」と言うと
 
「バドミントン部です。校長先生、これです。」と手渡されたメモ紙。確かに詳細をメモにと言いましたが・・・これでは・・・しかも地図はいらない笑
「いやいや、これじゃ書けないよ・・・笑」とわたし

ということで、話を聞きます。
9月後半のことだったそうです。部活終わりの20時頃、1年生の郡君、山下君、野口君の3人が体育館前で、近隣に住まれている車いすの方を見つけ、マックスバリュでの買い物をお手伝いしたとのこと。そんなことがたびたびあったそうです。他に緒方君、浦上君も一緒に手伝ったそうです。
話を聞いていて、彼らが一生懸命買い物を手伝っている姿が想像されました。厳しい練習。叱られることも多い。学校生活では模範となることを常に要求される。勝負に対するプレッシャー・・・そんな彼らが、人のことを思い。無垢な心で荷物を運んでいる。困っている人のために。しっかり育っているんだなあと思いました。
勝負の世界に生きること。(きそ)い合い、()り合う世界の中で人を思いやる気持ちもちゃんと育っている。熊本中央高校男子バドミントン部らしい話です。

 善には善の報い、悪には悪の報い-
 
 男子バドミントン部は、11月初旬に行われた新人戦で団体戦2位に入り、九州大会に出場します。さて、どんな活躍をみせてくれるのか。きっといいことあります!

感動しました!

 11月1日、玉名女子高校の100周年記念式典に参加しました。案内してくれた生徒さんに
「今日、授業はあったの?」と尋ねます。若者には話しかけたくたる(たち)です。
「はい、2限までありました。」しっかりした答え。感心します。
 
 開式まであと30分。オープンニングスタートです。のっけから驚愕でした。玉名女子が誇るブランスバンド部。音の出だしから全然違う、違う、違う。何がどう違うのか・・・とにかく違う。ライブで届けられないことがもどかしい・・・思わず聴き入ってしまいます。
ぶれのない音の響き、立体感のある音がその強弱、緩急と相まって空間をリズミカルに支配します。音に力があふれ、一瞬で、その世界に引き込まれます。いわゆるスイング感が、繰り出される音を効果的に膨らませる。正直な感想です。
 
感動しました!-
 わたしは、普段から音楽ばかり聴いています。邦楽洋楽問わず、ポップスも昭和歌謡もクラシックもロックもジャズもグレンミラーもリチャードクレーダーマンも・・・多種多様、何でも好きです。音楽は、言葉を超えた叡智(えいち)です。だから耳は肥えているはず笑 でも、これほどまでに感動したのは久しぶりでした。フィナーレは、くまモンに扮した生徒達が、会場を取り囲み、笑顔満載、アップビートな音に合わせて踊ります。微笑ましい。 
あらためて思います。やっぱり自分は、高校生が頑張る姿が好きなんだなあ、と。-
高校がどこだとかそういったことよりも、高校生たちが、ただひたむきに、一生懸命に何かを目指す姿、何かに挑む姿。その純粋さ、透明感に心打たれます。そんな姿に素直に感動します。玉名女子高校のブラスバンド部のみなさん、感動をほんとうにありがとう。
ただ、やっぱり負けたくないという思いはあります。同じ高校生です。熊本中央高校の生徒達にもできるはず!高校生は競いあう中でともに高めあい、ともにエールを送り、ともに多くの人たちを感動させてほしい。わたしの願いです。
みなさんもそう思いませんか?-

中央は愛されています。

 わたしは、買い物が苦手です。そもそも特段買いたいと思う「もの」がないんです。なので、文化祭では押し売りされた方がいい。それがわかっているのかいないのか、生徒達は、よく押し売りにきます。そして、あっさり押し切られています笑
さて、文化祭最終日、後援会の岡元さんから
 
「校長先生、買ってください。」と遠慮がち(・・・・)に言われ
「はい・・・後から・・・」とあいまいに答えました。
 すいません。結局、買いに行きませんでした。苦手なんです。食材の買い物が・・・苦手なんです必需品を買うことが・・・なので、躊躇した末に断念しました。重ね重ね申し訳ない。この場を借りてお詫び申し上げます。
 まあ、それはともかく熊本中央高校の後援会の皆様に、今回の文化祭をいたるところで支えていただきました。
 
「道路を封鎖した方が、生徒達が安全でしょ?」と会長の子出藤さん、副会長の森さん。
 
言ったそばから、そろってすぐさま警察署に。あっという間に、警察の許可を取り付けていただき、道路封鎖が実現しました。快挙です。ありがとうございます。それから、同じく副会長の木村さん。木村さんは、全館の階段にほこりがたまると見るや、すかさず、モップを持って、その都度たった1人で念入りに掃除をされていました。ほんとうに頭が下がります。中央の文化祭を盛り上げたい。中央の文化祭が悪く言われるのはいけない、といった木村さんのあたたかい「思い」。われわれ教員ももっともっと自分の学校に一生懸命にならないといけない、と教えられました。熊本中央高校は愛されています。まさしく
 
中央愛です。-
 
 だからこそわれわれ教員も、同じ「思い」で生徒達のためにがんばっていきたい。目指すところは同じです。後援会の皆様、文化祭ほんとうにありがとうございました。今後ともよろしくお願いします!

茶会にて、猫はどう思う

 漱石が笑っています。夏目漱石邸です。文化祭最終日。どういうわけか茶道部の茶会に。茶をたててくれたのは、2年2組坂本美羽さん。うら若き乙女の繊細な所作、そこから生まれる茶の妙味がわかるのか笑 いきなり茶道部の生徒達がお菓子を持って来ます。置く場所がなく、盆からなかなか取れません。敷き紙をゆっくり引いて、猫の形をしたお菓子と『加賀名物 柴舟』、おそらく格調高い、そんじょそこらには売っていない逸品を何とか膝に着地させます。
 すると、すぐそばで「ぼりっ」とする音。隣に座っていた松永さおり先生がお菓子を召されている模様。
「これ、もう食べるんですか?」とわたし
「はい、食べたいときに食べていいんですよ。」とまた「ぼりっ」
なるほど、ということでわたしも、猫のお菓子を「ぼりっ」さらにその隣にいた冨田由佳子先生も、ここで便乗すべしと、「ぼりっぼりっ」と。傍から見たら珍妙な光景。なぜだか、笑みがこぼれてしまいます。
 そうこうしていると、坂本さんのたててくれたお茶が運ばれてきます。わたしは、作法に(うと)い男です。ドレスコード、しきたり、格式といったものに縁がありません。何年生きても成長しない。なので、茶の椀を渡されるとき、いつもどう受け取るのか?と悩みます。ちらっと隣を見ると松永先生が自然体で椀を受け取りそのままお口へ。わたしも躊躇なく真似します。学ぶは真似(まね)ぶ、何事も真似からです笑
「結構なお点前で・・・」
一礼して、無難にそう答えます。意味はわかりませんが、いわゆる常套句です。
笑っている漱石。確か、『吾輩は猫である』には
 
人間はわがままで、行儀が悪い。-
 
というくだりがあったような。『猫である』の猫が見たら、この茶会をどう見るでしょう。きっと人間は品性があって上品と思ってくれるはず笑
 
 文化祭最終日が終わりました。生徒のみんな、後援会のみなさん、そして先生方ほんとうにお疲れ様でした。いい文化祭になったかと思います。

中央生は「考える」

 文化祭がスタートします。わたしには1つの思いがありました。以前もブログに何度か書いたけれど。
 
どうせとまあいいや。-
 
 どうせ(・・・)中央生だからルールの大切さはわからない。どうせ中央生だからルールを考えることなんてできない。どうせ中央生だからこれぐらいで()()いい(・・)()。これまでの中央生。でも、今の中央生は違うはず。-
 
 今年、9月に生徒総会を開きました。これまで考えなかった生徒達。これまで言っても無駄と思ってきた生徒達。黙して語らなかった生徒達が声をあげました。どうせとまあいいや、を克服していきたい、というわたしの思い。そんなこととは露知らずの生徒達のひたむきな行動は、これからの熊本中央高校の希望になったはず。だからこそ、長らく熊本中央高校にあった呪いのような言葉を、今年払拭したい。中央生は「考える」。ちゃんと「考える」ことができる、と-
 
「先生達の中には、嫌われるのが嫌だから見て(・・)見ぬ(・・)ふり(・・)をする先生がいます。」-
 
という残念な話が聞こえてきます。学校をよくしていく。もちろん、どんなに生徒達にばかり迫っても、教員が「本気」でなければ学校はよくなりません。生徒達もどんどん変わっていく。われわれ教員もそれに対峙できるだけの力を持つ。
 
中央生は「考える」-
 
 学校は、そのための場所です。文化祭を通して「考える」ことのできる中央生の姿を見せてほしいと思います。中央生は「本気」だということを-
いい文化祭になるよう願っています!

ブログに書いてください!

 文化祭の季節になりました。夕方遅くまで教室企画、ステージ発表の準備に大忙しです。活気がむんむんといった雰囲気。そこに珍客到来
「校長先生!」
呼ばれて、顔を向けるとどかで見た顔。あっ、夏のスイカの2人です。
「クラスで作ったタオルです。もらってください!」
「えっ、ただはいかんよ。お金払うから・・・」
どこかで聞いたようなやりとり笑 そうそう、名前を言い忘れました。再登場の2人。3年9組甲斐向日葵さんと坂根愛弥さん。顔が見たい方は、以前のブログで見てください。
「いいです。プレゼントです!」
「いやいや、いかんよ・・・」
「もらってください。」
すると、坂根さんが
「豚汁屋さんもします。きてください!」と商売上手笑
で、やっぱり最後は
「写真撮りますか?ブログ書いてください!」
といつかあったやり取り。懐かしいです笑
 ブログを書くといろいろな反応があります。お叱りを受けることもあります。まれにですが感謝されること、喜んでもらえることもあります。なぜか、涙が流れたという奇特な方もいます。読んでもらっていること。ほんとうにありがたいです。
 
学校の今を伝えたい。-
 
 校長になってしまって、今のわたしにできることは限られています。ただ、ブログを書くことでわたし自身が学校を見ようと思います。書くことを考えることで、熊本中央高校の今が見えてくるはず・・・わたしは教師なので、ほんとうは授業をしたり、生徒と関わったり・・・やりたいのですが・・・まあ、それはいいでしょう。
 
ブログに書いてください。-
 
 3の9のみんなありがとう!書きました笑 いい文化祭になることを願っています。

Mr.総ビ

「なんか、こう熱い授業を見せてくれないかな・・・」とぼやくわたし
 そんな要望に応えられる教師は、そうそういません。わたしもわかっていて、さも聞こえるように言っています。以心伝心。すかさず
「いいですよ。」と松藤教務部長。1年8組の簿記の授業です。
 
「ここの修正がちゃんとできてないと、結果が間違うから~」
「終わったら、待ってないで次やっていいから~」
 難しい内容の授業をぐいぐい、ぐいぐいひっぱります。名付けて「付いて来い」型授業です。巷では、授業がどうのこうの、ICTがどうしたこうした、生徒風に言うと、「うざっ」と言いたくなるほどいろいろと言われています。でも、結局最後は、教師の持つ「熱さ」なんです。教師がどれぐらい「本気」なのかどうかなんです。どんなにICT機材があっても、デジタル黒板があっても、画期的な便利なツールがあっても、生徒という人間を相手にする以上、最後は、教師の人間力なんです。教師の強さなんです。こればかりは、言葉では説明がつきません。松藤先生の口癖は
 
理屈じゃなんだよ-
 
 そんな激しい言葉を、と思われるかもしれません。でも、人を動かす。生徒をやる気にさせるにはこれぐらいの気合は絶対に必要です。そして、何を隠そう松藤先生のこの気迫(バイアタリティ)が、ここ数年の総合ビジネス科を確実に変えてきました。日商簿記2級合格の急増、毎年の福岡大学の合格、1年簿記3級全員合格・・・等々
 
Mr.総ビ-
 
 教務部長という激務の中、松藤先生は放課後になると必ず総合ビジネス科職員室に行って、松藤先生を慕って勉強に来る生徒達に個別指導をしています。ほんとうの面倒見とは、甘やかしの中にはありません。ほんとうの面倒見とは、厳しさの中にこそある。
中央総合ビジネス科のさらなる発展を!Mr.総ビにがんばってもらいましょう~あっ、1年8組しっかり簿記に取り組めていました!

「自由」であること

「ツーブロックを許可してください。」
「髪型を自由(・・)()してほしい・・・」
 9月に生徒総会を行ってから、校内でよくこんな主張を耳にするようになりました。言っても無駄。どうせ・・・といった物言わぬ生徒達であるよりも、自分が思うことをしっかりと声にするのは大いに結構。本来、学校はそうあるべきです。ただ、ここでちょっと考えてほしい。その主張ってほんとうに「自由」と言えるのでしょうか?-
あえて言います。わたしにはこう聞こえます。「ツーブロックは今の流行(・・)()から(・・)マネしたい。」「みんな(・・・)()かっこいいというからやってみたい。」「自由といっても今の世の中(・・・)()トレンド(・・・・)を自由と言っているだけじゃないのか?」と。
 別に論破しようとか、言い負かそうとは思ってはいません。わたしは自分を「自由」な人間だと思っています。流行や権威や、意味なく社会がありがたがっているものに興味はありません。正しいか間違いか、自分の頭で考えます。自分が納得しないなら、誰が何と言おうと認めたくありません。そんな奴です笑 ただ、そんな奴だから「自由」であることで困ることはたくさんあります。空気が読めず失言して、周りが引いていくなんてざらにあります。でも、本来「自由」とはそういうものだとわたしは思っています。みなさんはどう考えるでしょうか?-
 流行を妄信し、権威に(おもね)って、何も自分では考えず、誰かに自分の生き方を決めてもらう。何がよくて何がよくないのか、決めるのは自分ではなく常に他人、そして社会。それが自由と言えるのか?―
知っておいてほしいこと。社会というものは間違うものです。人間の歴史は間違いの歴史です。「自由」もまた、数多(あまた)の闘争の中から、数多の間違いの中から人類が獲得してきたもの。
 
ほんとうに「自由」と言えるのか?-
 
 今の熊本中央高校の生徒達にじっくり考えてほしいことです。

看護師に絶対なる!

「まだまだ、大きな声で、活舌よく話す!」大田黒先生の激が飛びます。
「万が一、頭が真っ白になったら?」
 
看護師に絶対なる-
 
 気合の入った大きな声。2年生看護科。本日宣誓式です。いい表情をしています。まさしく主役顔です。宣誓式当日の全体予行のひとこま。歳のせいか、生徒達のきりっとした表情、真剣なまなざしを見ていると、なぜかうるうるしてきます。この後、13時30分から本番。
 
看護師に絶対なる-

 という生徒がいるかどうか笑 なんかライブ感覚になっていますが、本番の宣誓式、たった今終了しました。ほんとうにすばらしかった。宣誓で真っ白になった生徒はいませんでした笑 
今、みんなは看護科に来て、どうして来てしまったのだろう、とか自分には向いていないとか、日常ほんとうにいろいろと考えると思います。悩むと思います。職種は違いますが、わたしも若いころ、自分は教師に向いていないのかも、と悩んだものです。でも今、続けてきてよかったと心から思います。人生はそう捨てたものではない。みんなには、まだまだ見たことのない景色がたくさんあります。今の自分の看護師になりたいという選択に自信を持ってください。
諦めるという言葉はわたしの辞書にはない-
 
 式辞の中でも引用したF・ナイチンゲールの言葉です。生徒のみんな、どうか自らの志に、迷わずまっしぐらに突き進むナイチンゲールの「強さ」を学んでください。
 
「校長先生、一緒に写真撮ってください~」
「校長ブログ、わたしいつも読んでいます。」
 
 こんな無邪気な生徒達が、明日の医療を支える看護師になれますように。宣誓式での気持ちを未来につなげましょう!期待しています。

わかる、わからない!?

 わかるものはわかるが、わからないものはわからない。-
 
 昨日から始まった高校美術展。正直な感想です。もちろん批判ではありません。わたしの感性、いや情けないことですが、わたしの美的実力の問題です笑 夏の学校de美術展でも圧倒され、(へこ)みましたが・・・今回もまた同様。わたしは、何の成長もしていないのか笑まあ、それはともかく、「わからないこと」をなんとか作品を通して、厚かましくも語ります。2年岡さんの『自意識過剰』。もちろんコンセプトは言葉としてはわかります。ただ、絵が難解・・・じっと見つめます。うごめくコンテンツ、はち切れる色彩・・・造形の複雑さ・・・焦点の見つからない感覚・・・見ていると、ぞっと魔界に吸い込まれそう。もうやめます笑 実物を見た方がいいですね。2年小林さんの『誕生花と』「咲き終わる花を人生の終わりとして、わたしなりの死への価値観を表現した。」難しいことを言っています。わたしの読解力が不足しているのでしょう。その「死への価値観を表現した」というこの作品。わたしは単純です。見た瞬間、きれいに描かれているな、といった呑気な感想をもってしまいました。ただ、このコンセプトを読んで、再び絵を凝視すると、何かしら変な気分になってきます。この絵が死を・・・えっ、この絵の人は死んでいるの?・・・不敵な微笑と陰鬱(いんうつ)な花々・・・つまらない感想で申し訳ないです・・・笑 まさに深淵。シュールでビビット。
 
そもそも、こういった芸術作品を、あろうことか言葉で語ろうなどという愚行が、そもそも不遜(ふそん)なのかもしれません。反省、反省。もちろん、中央高校から出展された他の生徒達の作品も見てきました。わかったつもりですが・・・いや、勉強です。勉強笑
 
高校美術展は27日まで開催されています。高校生の若さあふれる表現の数々をぜひ堪能していただけたらと思います。美術専攻の生徒達、また次期待しています!

大切な2つのこと

熊本中央高校の生徒達はいい子たちばかりだと思っています。校内ですれ違うとほとんどの生徒達が「こんにちは」とわたしにあいさつをしてくれます。微笑ましい限りです。でも、職員室で生徒達を見ていると、ちょっとな~と思うことがあります。それは
 
時間と言葉-
 
 です。遅刻しても悪びれない生徒。遅刻を何度も繰り返す生徒。事情はそれぞれあるのかもしれません、ただ遅刻はなくなりません。知っているでしょうか?「時間」にルーズな人は成功しないということを。お笑いタレントをたくさん育ててきた吉本の若手養成所。そこで、もっとも厳しいのは「時間」です。200人近くいる養成所の若者たち。集合時間に1分1秒でも遅れたら即退所させるそうです。厳しいと思いますか?でも、何かを成し遂げたい。何かで成功したいと思ったら「時間」に厳しくあること。でないとけっして成し遂げられない、このエピソードがそう教えてくれています。成功する人は「時間」に厳しい。
もちろん、生徒のみなさんだけではなく、大人でも「時間」にルーズな人はたくさんいます。いや、むしろ多いかも笑
 それから言葉遣い。タメ口は失礼な言葉遣い。確かにそうでしょう。でも、それ以前に言葉を正しく使えない人もまた世の中で成功したり、自らの志を成し遂げることはできません。考えてみれば簡単なことです。われわれは「言葉」を通して何かを学び、何かを伝え、何かを読み、何かを書きます。どんなことを目指すとしてもこの過程(プロセス)を無視することはできません。はたして、普段から言葉の使い方が適当な人が、こういった過程をうまくこなしていけるでしょうか?勉強も同じです。実は頭の良し悪しではありません。どんな教科でも「言葉」を無視しては成り立ちません。
ただ、これまた生徒のみなさんだけではなく、大人にも「言葉」が適当な人はたくさんいます笑
 
時間と言葉-
 
 大切にしてほしいと思います。生徒のみんなのこれからの人生のために。「時間」を守らないことはダメなこと。乱暴な言葉、粗雑な言葉、タメ口などはちゃんとした言葉に変えて行く。意識すればすぐにできることです!

切磋琢磨

 百田先生は、職員室でいつも黙々と数学の勉強をしています。無駄話はしません。
 この夏の3日間、全私研でいっしょにすごしました。他の話はうわの空ですが笑 数学の話、授業の話になると目をきらきらと輝かせ、どこまでも食らいついてくる。そんなひたむきな姿が印象に残っています。-
 
「キャラメル余っているから百田先生も授業やってみたら?」とわたし
先日の特進オープンスクールでの一宮ワールドの授業。
「わかりました。やってみます。」と百田先生。
 誰かがやった授業を追いかけてやってみる。業界用語で“追試”と言います。教室は2年1組、おなじみです。隣で授業の一宮先生も、心配なのか、気になるのか見に来ています。
「友達が俺のスマホの暗証番号を変えたからわからなくなって・・・謎の計算を残して去りました。みんなに暗証番号を見つけてほしい。」
 大爆笑の生徒達。動機づけにストーリーの活用。確かにセオリー。知ってか知らずか、まあストーリーはとんでもないほうが面白い。いや、程度ってものはありますが笑
「キャラメル、みんなにプレゼントしようと思ったら、その友達が食べてしまって、しかも、この袋を開けて確かめたいけど、この帯に電流が流れています。どうすれば食べたキャラメルの数がわかるか?求めてください!」
 またまた大爆笑の生徒達。考えに考え抜いて電流になったのでしょう・・・いやいや、なんで電流?・・・笑 まあ、よしとします。
 
 いい授業だなあと思いました。何より、百田先生と2年1組の生徒達が「考える」ことを通して「探究」している。けっしてスマートではないけれど・・・でも、これでいいんです。
 
「先生、コメントを・・・」と百田先生
「いい授業と思ったよ。楽しかったでしょ。授業って面白いでしょ?」とわたし
「はい」と百田先生
 これが大事なんです。もちろん授業の「技術」はこれからじっくり身に付けていけばいい。でも、大事なことは自分が面白いと思うこと。やってみたいと思うこと。百田先生には、一宮ワールドという偉大な先輩がいます笑 切磋琢磨です!次、どんな授業を見せてくれるのか、わたしは楽しみにしています。

面白い授業とは?

「お腹がすいたので2個入りのキャラメルの1個を食べてしまいました。全部で20個みなさんにプレゼントしようと思っていたんですが・・・しかも何個食べたか忘れてしまって・・・みなさん、確かめてくれまれませんか?」
という設定で始まった特進オープンスクールの授業。おなじみ一宮先生の授業です。そう、一宮ワールド全開です!
 中学生も保護者のみなさんも、さくらとして参加してくれた1年1組有志軍団も、あーでもない、こーでもない、と喧々諤々(けんけんがくがく)、考えをぶつけ合います。単純に言えば、連立方程式なのですが、自然な流れで深堀、深堀していきます。
考え方は一つではない。-
 
 これなんだよな、と思いました。数学の授業で、あえてまとめをこう言い切ったところに一宮先生のセンスのよさが伺えます。だから面白くなる。面白いというと勘違いしている人がいるかもしれません。生徒と仲良くわきあいあいってことではありません。ただ単に、生徒同士を話し合わせて、それが面白くなるわけではない。全然違います。ほんとうの面白さとは、 教材の深い(・・)解釈(・・)があり、教師が「なぜ?」を考える場面を設定する。ここが、教師の腕です。
いっしょに勉強に来ていた百田先生が
「持って行き方次第で授業って面白くなるんですね・・・」と感心しています。
「他人事ではないよ、自分がしないと笑」とわたし
 
 生徒や保護者のみなさんにも知ってほしいこと。ただ単に、楽しげに、おもしろおかしく、一見すると面白い授業に見えますが、はっきり言って中身がないし、それは教師でなくてもできます。授業は、やはり「考える」ことを通して面白いと思えるものではないといけません。そういった場面を設定する力がない教師はダメです。普段の授業、ぜひ、そういった厳しい目で見てください。学校が変わります!
 3回あった特進のオープンスクール、中学生のみなさんいかがだったでしょうか?中央特進に来て、一宮ワールドをたっぷり体感してみたくないですか?-
では、また11月、入試説明会で会えることを楽しみにしています。

人は学ぶもの

 中央高校には、生物探究部があります。みなさん、ご存じでしょうか?-
 顧問は岡本先生。部員たちは、高校に入っていろいろな生物に興味を持ち、フィールドワークでデータを集め、それを解析し分析しています。驚くなかれ、その研究の実績は、大学の生物研究にも負けず劣らず、どこに出しても恥ずかしくないものばかりです。
「みんながんばっていますよ。いろいろいますけど・・・笑」と岡本先生

この夏も、暑い中、毎日のようにフィールドワークに出かけていました。そんな生物探究部がこの度、雑誌『T1park』で紹介されました。
 
 人は学ぶもの-
 
 生物探究部がすばらしいのは、強制されたり、教師の用意したレールに乗ったり、課題を与えられたりすることはなく、ただただ、生物への興味関心、生物学へのバックボーンに忠実だということ。もちろん、岡本先生の「学問」的な力は偉大です。でも、それ以上に、人は学ぶもの、というそもそもの人間の本質をよくわかっているからなせること。これが「教育」なんだと思います。熊本中央高校は、こういった「教育」をどんどん広げていきたい。あらためて言いますが、高校で学ぶ教科の背景には「学問」があります。多くの教科が受験に囚われていて無味乾燥に感じますが、そもそも人類の叡智(えいち)である「学問」を文化として伝承し、さらに創造していくことに高等学校の存在価値があります。
 
「数学探究部、作ってみようかな?」
 以前、数学科の主任様に言ったことがあります。
「勝手にどうぞ、でも、2人ぐらいしかいませんよ~」
 と手厳しいお言葉。でも、わたしには校長室という広いスペース、空間的な武器があります。目指せ、岡本!打倒、岡本!面白くないですか?絶賛募集中ということで笑
 今後も、生物探究部は、個性的なメンバーで画期的(・・・)()研究成果を発表していくでしょう。注目です。みなさん、楽しみにしていてください。

教師の役割

 たまたまですが、また1年4組に行きました。ほんとうにたまたまです。中矢先生の英語の授業。教室に入ると、たくさんの生徒達から「おはようございます。」というあいさつの声。すばらしい。わたしも教室の空気になじみやすい。
「じゃあ、最初は立って読みます。ついてきてください!」と中矢先生
テキストは『ユメタン』。英単語の解説を途中に交えながら、生徒達を促します。読みが終わると
「なら、次は単語のテストをします。3分後です。」と中矢先生
 生徒達はさまざまです。夢中になって覚えようとしている生徒。なかばあきらめている生徒。じっと虚空を見つめる生徒・・・笑 不思議ですよね。学校ってみんな同じことを学んでいるはずなのにいつの間にか差がついている。
「では、小テストをします。」
小テストが始まります。ここまで、およそ15分。正直な印象を書きます。
 
生徒達に対する評価がまったくない。-
 
 いいことなのか悪いことなのか、という評価を返していく。勉強をしないのはよくないこと。だったらよくないと言わないといけません。忘れものはいいことか悪いことか。もちろん悪いこと。だったら、そう評価を返さないといけない。がんばっているのはもちろんいいこと。ならば、その評価を返す。・・・授業がどうとかいう以前に、まずはそれが教師の役割です。
厳しいことを書いているかもしれませんが、われわれ教師は、まずは、自分に厳しくないといけません。自分に甘くて、生徒達だけに「ちゃんとしなさい。」というのはおかしいこと。授業に関してはまだまだいろいろとありますが、これぐらいにしておきます笑 ところで1年4組の生徒達にお願いがあります。すべての授業で、たくさんの「なぜ?」を先生方に投げること。例えば
 
「どうして不定詞はto+動詞(・・)()原型(・・)なのですか?」
 
 「なぜ?」を問うことで“教わる”が“学ぶ”に変わります。おまけに、先生方もさらによりよくなる!1年4組ならできると思います。いいと思いませんか?-

絆を深める

 今日から2年生は修学旅行です。昨日の出発会で話をしました。言いたかったことはたった1つ
 
絆を深める-
 
ということ。
ずっと若いころ、正直言って修学旅行は苦痛でした。何のため、ということがわからなかった。はじめての修学旅行、日程は4泊5日。東京、京都、奈良、おまけにフェリーで1泊というスケジュール。まだまだディズニーランドもなかった時代。東京でも自主行動、京都でも自主行動、さらには奈良、京都の名所旧跡周り・・・もうくたくたで、めまいがしそうでした笑 班分けから始まって、新幹線の座席、あるいはバスの座席と、なかなか決まらない。もめるクラス、わがままも収まらない。いったい、どうすればいいのか、悩んだものです。
 修学旅行にしても、文化祭にしても、様々な行事でも同じだと思います。こんなに大変ならばやらないほうが楽です。やらないならば何も起こらないし、苦労もない。でも、それがわかっていてなぜやるのか?-
 
 人の成長というのは、人と関わることでしかなし得ない。わたしは、そう思っています。どんなにお金があっても、どんなに物があっても、どんなに時間があっても、人は人と関わることでしか成長しない。そして、もっとも大切なことは、人と関わることでしか、かけがえのない感動を知ることはできないということ。そんな「きっかけ」が学校行事にはたくさん詰まっています。修学旅行は、そんな「きっかけ」の宝庫です。もちろん、思い出を作る。楽しむ。大事なことです。でも、それだけに終わることなく、人生のかけがえのない感動をたくさん味わってきてほしいと思います。
 
絆を深める-
 
 昔、一緒に修学旅行に行った教え子の子どもが中央に入学してくるようになりました。まさしく、光陰矢の如し。2年生全員にとって、実り多く、有意義な修学旅行になることを心から祈っています。

「批判」に学ぶ

 学食でランチを食べていると、ある先生が珍しくわたしのところに来て
「いろいろと指摘したいんですが・・・」
 と話しかけてきました。聞くところによると、授業を見に行っていろいろと問題点が浮き彫りになり、それを指摘すべきかどうかを迷っている様子。
「指摘すべきことは言ってあげないとかわいそうだよ・・・」とわたし
「パワハラで学校来なくなったらどうするんですか?」
「そんなことで来なくはならない・・・」

授業を追究することに妥協はありません。わたしは、くわえてこう言いました。
「授業を見せてもらったら必ずコメントする。それはマナーだよ」と。-
 
 Z世代がどうのこうのと騒がれていますが、わたしはあまり気にしません。そもそもZ世代って何だ?と思います。それに、世代が人の精神構造に影響を与える?その根拠(エビデンス)は?とついつい反抗したくなります笑 自分で確かめて納得していないことは信じたくない。わたしはそんな奴です。
ところで、授業でも何でも、何かアクションを起こせば、「批判」があるのは当たり前です。逆に何も言われないのなら、それは見込みがないに等しい。わたしはそう思っています。さらに言えば、常に「批判」から学ぶ姿勢でいたいとも。特に、校長になってからは気を付けています。わたしが間違ったりずれていたりしたら熊本中央高校が間違ってしまう。そのリスクは、常に考えます。「批判」があって当然。「批判」してもらってありがたい、と。-
 
 大切なことは、少しでもよくしたい。ただ、その思いだけです。人に「批判」されたり、自分の考えのおかしさを指摘されたりすると嫌な気分になるというのは、せっかくの成長の機会を逃しています。生徒達も同じです。誰かに何かを言ってもらう、指摘してもらうというのは、実はありがたいこと。ほんの少しでも、たった一歩でも成長し、何かを成し遂げたいのならば
 
「批判」に学ぶ―
 
という姿勢を忘れないようにしたいものです。
 さて、2年生は明日から修学旅行に行きます。その様子は明日のブログで・・・

何より生徒が活発であること

どうして生徒達がダンスに夢中になるのか?―

 浅はかにも、そんなことを思っていました。3年11組ダンスの授業。田代和也先生です。でも、その理由がはっきりとわかりました。活動があって、理論があって、創造がある。そして何より自分達で考えるという、今もっとも求められているオーナシップがある。
 題名はわからないけれど聴きなれた音楽が流れます。きびきびと体を動かす生徒達、はつらつとしています。3年11組、いい感じです。なんとなくですが、わたしもわくわくしてきます。わたしは、生徒達が活発に活動している姿を見るのが大好きです。いいなあ~と思います。それに、さすが田代和也、若々しく、いい声で生徒達を引っ張ります。
 準備運動終了。そして全員集合。ここからはダンスの理論的な話です。
「ユニゾン、聞いたことある人?ユニゾンは同じ動きを繰り返して効果をあげる手法」
 真剣に聞く生徒達。顔つきが考えている~って感じです。
「次はカノン、カノンは同じ動きで拍をずらして変化を付ける手法」
 わたしも、なるほどです。同じ動きでも、工夫次第で変化を付けられる。そして表現の幅が広がる。見るからに生徒達は、「どう取り入れよう」と考えている様子。ある理論を学ぶ、それを理解し、自分の中に取り入れる。ちょっと褒めすぎかもしれませんが、理想の授業の在り方だと言えます。
 
 ここ最近、校内では「ルール」について盛んに議論が行われています。生徒達も先生方も。その話を聞いていて感じること。学校の先生は言うことを聞かせる側で、生徒は言うことを聞く側。正しいことを決めるのは先生で、生徒はそれに従う。ほんとうにそうなのか?-
このダンスの授業だけをとっても生徒達は真剣に考えようとしています。そして何より、考えることで活発になっていきます。自分達にもできる。何かが創れると・・・忘れてはいけないこと。
 
何より生徒達が活発であること。-
 
 教育の目的は、あくまで生徒達の成長です。従順で物言わない者たちを育てるのではありません。さらに言えば教師にとって都合のいい人間を育てることでもありません。わたしは、その目的のためなら大変なことがあっても、問題があってもいいと思っています。何か困ることがあるでしょうか?そのためにわれわれ教師はいるんです。中央生よ、活発であれ、そして成長を!

「基本」を学ぶ

 ある若手の先生が、パソコンを持ってわたしに近づいてきます。にやにやしています笑
「先生、中学校説明会のスライドが完成したので・・・見てもらっていいですか?」
拒む理由はありません。きらびやかなスライドに合わせて、若手の先生が説明していきます。はあ~といったわたしの失礼な態度を察知したのか
「何かありますか?」とニヤッとします。
「うーん、これって中学生、聞いてくれるかな?」とわたし
「ですよね・・・笑」と若手の先生。ならやるなよ、なんてことを言ったらいけません。やる気がなくなるから笑
「なぜ、だめかはっきり言っていい?」とわたし
 
 みなさんにも参考にしていただきたいので、この後、話したことを簡潔にまとめます。ようするに、「話す」ことの「基本」を知らないんです。「プレゼンテーション」の「基本」を知らない。もちろん、知らないことは悪いことではない。逆に言えば、知りたいからわたしのところに来るわけで、そこはすばらしい。ただ、どんなことにも「基本」があります。「基本」とは、これまでの先人達が、おそらくベストだろうと思い積み上げてきた考え方や技術です。
その「基本」を知らないと「話す」こともけっして上達しません。これは生徒のみんなにも言えます。面接の受け答えがどうして難しいのか・・・それは「話す」ことの「基本」を知らないから。でも、心配しなくていいです。知らない人はたくさんいます笑 騙されたと思って、ググってみてください。結論から先に述べるというPREP法、Whyから始めるというゴールデンサークル、エピソードトークの基本、東京オリンピック誘致のプレゼン、いわゆる3つの法則等々、本屋に行けば、いい本かどうかはともかく、「話す」こと「伝える」ことに関する書籍が山積みです・・・さらにネット上にはあふれるばかりです。世の中、「話す」こと、「伝える」ことに苦労しているんです。
そして、この「基本」は日々アップデートされています。コピーライトも13文字以内しか通用しないというのが今の常識です。現代は、「スピード」の時代。30分、1時間、誰かの話をありがたがって聞いてくれるほど世間は甘くはありません。
「まあ、とにかくやってみる!で、それから考えても遅くはない。」
「はい、また来ます!」
 とニヤッとする若手の先生。この姿勢がすばらしい。大切なのはよりよくしていこうという根気強い姿勢です。この姿勢があれば「基本」はすぐに身に付きます。大丈夫。今後に期待です!

「答え」のない学び

 黒い箱の中にあるものを3回質問することで当ててください。-
 
 中間考査期間中です。そう、テストです。以前もそうでしたが、テストになるとどうしてもこのままでいいのか?と思ってしまいます。もちろん、中間考査を否定しているわけではありません。ちなみに、冒頭の問題、みなさんはどう答えますか?-
 
 わたしたちは、問題を問われると、まず答えを探します。答えがあるという前提で問題を考えます。でも、この問題、実は答えは1つではありません・・・えっ、答えが1つではない・・・なら無理、とか、問題としてどうなの?という気持ちになります。その気持ちよくわかりますが、もう世の中の流れは、あきらかに答えではなく、どう考えるのかを問題にしています。冒頭の問題は、Microsoft社の入社試験で出題された実際の問題です。ではなぜ、こういった出題になるのか?それは、VUCA(ブーカ)の時代、あらかじめ答えがわかっている課題などないし、わからない課題をどう考え、どう取り組むのかという力が必要とされているからです。誰がやっても結果は変わらない。答えのはっきりしている仕事や課題は別に人がする必要はなく機械やAI技術に任せた方が正確で効率がいいということです。
 
 不安になるかと思います。なら、学校はどうすればいいのか?わたしのキーワードは「なぜ?」です。「なぜ?」を問う学びを構築していくこと。これしかないと思っています。だから、これまでのような知識だけを問うテストでは不十分だなと思ってしまいます。
 
「答え」のない学び-
 おそらく多くの学校、多くの教師達の実力が試される時代なのかもしれません。いい教師かそうでないのか?これまである意味あいまいにしてきたことがはっきりする。オワコンと言われる日本型教育。これからの時代に生き残っていく学校になるためには、この流れを覚悟するしかない。
 
学校と教師の力がほんとうの意味で問われる時代がもう来ています。-
 中間考査期間中、そんなことを1人で考えています笑 さて、冒頭の問題、みなさんはどう答えますか?-

根拠のない自信

10月5日に開催された同窓会総会。はじめて本校で開かれるということで、校長挨拶をこんな言葉ではじめました。
 
わたしは中央高校が嫌いでした。およそ30年前です。-
 
それからいろいろ(・・・・)()こと(・・)がありました。いろいろなこと、話してもいいですか?-
 
 快く拍手をしてくださった方々のあたたかいまなざし。懐かしい生徒達、懐かしい先生方。にこやかに何度もうなずいてくださった同窓生の皆様、そして先生方、あらためてありがとうございました。
 
若く優秀な先生方と、わちゃわちゃしていると、何かわかりませんが、中央がどこにもないすごい学校になれるような気がしてきます。もちろん根拠のない自信です笑-
 
 中央関係者のみなさんにはわかるはずです。熊本中央高校には昔から「根拠のない自信」というものがあります。何かやれそうな気がするけど、根拠があるわけではない。でも、なんかやれそう笑 そんな「根拠のない自信」が、これまでずっと、幾度(いくたび)か不可能を可能にしてきました。とにかく、生徒達にとっていいと思ったことはやってみる!今ある熊本中央高校の挑戦の根本にはこの「根拠のない自信」があるのかと思います。同窓会に参加していたある卒業生が
 
息子を入学させたいけど、今、中央は難しいから。-
 
 今から一生懸命勉強すれば大丈夫!「根拠のない自信です」笑 やる前からあきらめない。粘り強く努力する。そして、挑戦(チャレンジ)する。熊本中央高校の卒業生ならば、胸を張って堂々と自分の子どもに伝えてほしい。希望を語ってください。
 たくさんの同窓生の皆様、そして先生方、御来校、ほんとうにありがとうございました。ちなみに、今、わたしは中央が大好きです笑

自分の「時間」

 ある先生の依頼を受けて、ある生徒が面接練習をしに校長室に。ある、あるばかりでわかりにくいので、仮に先生をI先生、生徒をWさんとします。あくまで仮です。
「患者さんの身体のケアだけでなく、心のケアもやっていきたい。心のケアも大切だと思っています。」
 立派な話です。
「じゃあ、心のケアで必要なことは?」とわたし
 しばらく考えてWさんは、たどたどしくも、一生懸命語ります。
「患者さんをしっかり見ること。患者さんの気持ちになることだと思います。」
「わかった。じゃあ、面接はいい。ところで、どうして面接練習しなかったの?」
「面接というか・・・話をするのが苦手で・・・上手に話せないと思ってしまうんです。」
「そっか、でも、ちゃんと話せているよ。ただ、だからといって試験までの時間を何もしないで過ごすことはよくない。合格は結果ではなくスタートだから・・・それに自分の時間は自分で意味あるものにしないと・・・」
「はい」とうなずくWさん。I先生は言います。「何にもしないんですよ~」と。気が気じゃない気が気じゃない。自分のクラスの生徒がだめになってしまわないか・・・せっかく3年間で学んだことが無駄にならないか、と。-
 学校にいると、「時間」に無頓着になりがちです。特に、中央のように面倒見がいい学校は、いい意味で生徒の「時間」を管理(マネジメント)しようとします。もちろん悪気はありません。当然のことです。ただ、ここで、落ち着いて考えてみると、自分の「時間」を自分でどう意味のあるものにするのかは、今後の人生で、もっとも大切なことだと気が付きます。社会に出れば、この力が問われます。みんな同じ「時間」を過ごしていても、できることに差が付きます。「時間」をどう使うかはその人の力を裏付けます。人は弱いものです。人は怠けたがるものです。そんなにストイックにはなれない。だからこそ、「時間」を自分がどう使うのかを考えさせる意義があります。
「ほんとうにその職業に就きたいの?」
「はい」
 「だったら、合格するとかしないとかではなく、本を読んだり、調べたり・・・できることはたくさんあるはず。自分の「時間」は自分で決める。甘えてはいけない。」とわたし
I先生の依頼に応えているかどうかはわかりません。面接練習にもなっていないかも。でも、ほんの少しでも、自分の「時間」を大切にすることが、Wさんの心に届いたらいいなと思いました。今週末試験だそうです。がんばって!

教師自身が汗をかく

「ブログ用の授業、お願いね。」とわたし
「えー、ブログ用ですか?」と永岡先生
 よく考えると、いや、よく考えなくてもパワハラです笑 永岡先生ごめんなさい。ということで3年8組数学の授業。教室に入ります。進路も決まってぐちゃぐちゃしているかと思いきや、3年8組はそんな雰囲気は微塵もない。当たり前かもしれないけれど、すばらしい。大きくはっきりした声の永岡先生の説明に、生徒達もちゃんと付いていきます。
 
「x軸との交点の数は?」
「2個~」(正解は1個です笑)
「えー、うーん」と永岡先生。
「いや、ごめんなさい1個!」とその生徒
 いい雰囲気の授業だなと思いました。8組の生徒達もさすが3年生、自分たちが授業をどう受ければいいかわかっています。今年の3年生、やっぱりいいです。さらにさらに、永岡先生のひたむきさ、熱心さがよく伝わってきます。大切なこと。
 
教師自身が汗をかく-
 
 生徒達にばかりがんばらせて、自分は何もしない教師。生徒がどうのこうのと言うくせにけっして自分を省みない教師。できないのは生徒のせいで自分は悪くないという教師。意外にたくさんいます笑 でも、いい教師は生徒に言う前に自分自身が汗をかきます。がんばります。その真摯な姿を生徒達は信頼してくれます。「先生」という肩書を信頼しているわけではありません。
 
偉そうな数学の先生、みなさんは好きですか?-
生徒ができないのは能力が足りないと言う数学の先生、みなさんは好きですか?-
自分だけは数学がわかっていると偉ぶっている数学の先生、みなさんは好きですか?-
 
 わたしは大嫌いです笑 ちなみに永岡先生をはじめ、中央にはそんな数学の先生はいません。みんな数学の難しさを痛いほどわかっています。そして、おもしろさも。だから、あくまで生徒の側に立ちます。自分自身が汗をかきます。中央高校の生徒達、安心してください!

教育は「出会い」に始まる

 まだ目覚めていないサクラマチのエスカレータを上がってしばらく歩くと、熊本城ホールのエントランスに着きます。高文連の前期写真コンテスト作品展を見に行きました。中央からは3つの作品が入賞です。崎山黎音さん、中越心さん、笛本咲希さん。おめでとう!
 3人は、高校に入学して写真を始めたそうです。写真部顧問岡本先生との「出会い」が彼女達の「やりたい」をさらにさらに高めました。それがかたちとなった作品です。
入賞すること、成果をあげることはもちろん大事です。すばらしいこと。ただ一方でこの話は
 
教育は「出会い」に始まる-
 
というとっても大切なことをわたしたちに物語ります。写真部だけではありません。みなさんにもぜひ知ってほしい。熊本中央高校はそんな「出会い」がたくさんある学校です。でも、だからと言って、生徒が成功し、成果をあげても、われわれは自分達の成果とは思いません。
 
生徒の成功は生徒のがんばり。生徒の失敗は教師の失敗-
 
 これが、われわれの教師としてのプライドです。われわれは教育のプロです。生徒達との「出会い」を通して生徒達の「やりたい」をかたちにする。生徒達の「やりたい」を高めていく。ある意味当たり前のことです。できて当然のことです。
熊本中央高校では、日々、たくさんの「出会い」と「出会い」の力が、生徒達の「やりたい」をかたちにしています。誇りとは目には見えない。でも、それが熊本中央高校の誇りです。

真面目の力

ふらっと訪れた教室。3年1組の地理の授業、担当は和田先生。大きなビーチボールが飛んでいます。大きなビーチボールに谷君が赤マジックで線を引きます。大きなビーチボールをみんなで回しています。飛び交う大きなビーチボールをぼんやり眺めていると、あるものを発見!
 
付箋のみっちり(・・・・)貼られた地図帳-
 大事なのはみっちりです。みっちりと言っても、ただのみっちりではありません。常人の感覚をはるかに超えたみっちり、つまり超みっちりです。
画像が見にくいかもしれません。ですが、目を凝らしてじっくりと見てください。すごいことに気が付きます。めったに見られないものを見たことに気が付きます。いったい全体、どうすればこんな付箋まみれの地図帳になるのか? 遅くなりました。持ち主は、3年1組高下さん
「顔出しは?」
「ダメです。」
「ブログ書くから」
「ダメです。」
 
 気のせいか、このクラスはいつも「いや」とか「ダメ」とかはっきり言います。言いたいことははっきり言いなさいという指導?が浸透している。それに、わたしの不徳の致すところってやつもあるのでしょう笑 ただ、この地図帳はほんとうにすごい。
 昨今、真面目である、という言葉はあまりいい意味では使われません。どちらかというと固いとか、柔軟性がないとか・・・でも、それは真面目さの意味を取り違えています。そもそも物事、真面目にしないとできるようにはなりません。勉強でもスポーツでも、仕事でも何でもそうです。できる人、優秀な人は必ず真面目にやっています。
 
真面目の力-
 
 この地図帳を見るだけで高下さんの真面目さがわかります。繰り返しますが、真面目さは力です。この真面目さの力が、他の部分でもきっと発揮される日が来ます。間違いない!

創立記念日に

 高志()躬行(きゅうこう)
 
 本校の校訓です。誰の言葉かご存じでしょうか?-
 幕末を生きた後藩士横井小)葉です。彼を知らない方のために、軽く紹介します。小楠は、一言で言うと、イノベーションの人でした。幕末、まだ鎖国の時代、彼は世界の情勢を学び、開国の必要性、交易の振興を説き、身分制社会を批判しました。後に明治新政府で行われた改革のほとんどを、まだまだ維新の光の見えない時代に提言する。当然、周りはついていけません。当時の熊本、肥後藩からは煙たがられます。つまり出る杭は打たれるってやつです。そんな彼をただ一人評価した人物。越前藩主、松平(しゅん)(がく)。小楠は福井に行き、そこで名声を得ます。いきなり有名人になり、後に新政府で働くよう推挙された数日後、彼の思想を誤解した刺客に京都で暗殺されてしまいます。享年61歳。無類の酒好きで、酒で度々問題を起こし処分を受けるという、豪傑というか、ほほえましい面もありました。
 一見すると高い志を持つことの大切さを語っているように感じるこの校訓。でも、小楠の真意はそこにはありませんでした。
 
人必死の地に入れば、心必ず決す。-
 
 明治維新は、身分にとらわれず、理想を掲げた「若者」達による「勇気」と「行動」が成し遂げた日本の歴史上、類を見ない大革命でした。「勇気」と「行動」。小楠もまた「勇気」と「行動」の大切さを説いています。「心必ず決す。」とは、必ず動く、ということです。校訓を通して小楠からわれわれが学ぶこと。-
 どんな苦境であろうと。自分の理想や夢に向かって「勇気」を持って「行動」する。熊本中央高校は、そんな生徒を育てたい。そして、そんな生徒達が新しい時代を創っていってほしい。みなさんに知ってほしい学校の願いです。121年目の創立記念日に・・・

才能よりも勇気を

 
 昔の大先輩の方々にはお叱りを受けるかもしれませんが、あえて「初めて」と言わせてもらいます。全校生徒を体育館に集め、2時間をかけて「初めて」生徒総会を挙行しました。
「髪型の規定を見直してください。」
「制服の移行期間をなくしてください。」
・・・
各クラスから出された校則の見直しについて各学年の代表者が、その理由、メリット、デメリットを話しました。どの意見も「なるほど」と思わせる立派なもの。よくがんばって意見をまとめてきたと思います。しかも、その姿に刺激されたのか、会場から手をあげて意見を述べた生徒が多かったこと。感心しました。これが、今の熊本中央高校の「力」なんだなと、あらためて思い知らされました。勇気を振り絞って意見を述べてくれた生徒達、ほんとうによくがんばりました。
 
 才能よりも勇気を-
 
 わたしはよく、こんな言葉を生徒達に言います。自分はできるだろうか・・・無理かもしれない・・・緊張するし・・・失敗したらどうしよう・・・でも、世の中、意外とそんなことはない。何とかなるものです。だから、迷わずやってみること。できる、できないではなく、まず行動すること。今日の生徒総会。そんな勇気を持った生徒達が、各学年にいること。そして全校生徒がそんな人たちの意見を拍手で応援していたこと。校長としてはとてもうれしい光景でした。
 
「先生達は、みんなの大切な3年間。みんなにとって意味あることをしたい。そこはみんなも同じだよね?」
 
 会場から拍手が起こります。ものが言えない、「なぜ」を封じ込めるような学校にはしません。声をあげること。オーナーシップを持つこと。わたしのスタンスは変わりません。
 多くの生徒達が、勇気を持てるように、自分にもできると思えるように。本日、「初めて」の生徒総会、とっても意義あるものになったと思います。新旧生徒会執行部のみんな、ほんとうにお疲れさまでした。また、やりましょう!

なりたい自分

ほんとうの自分」とか「自己実現」といった言葉がさかんに言われ始めたのは、わたしが学生の頃です。はるか昔のこと笑 何、「ほんとうの自分」って?・・・「自己実現」って何・・・?どう考えても嘘くさく、そんなことを得意げに語る大人を、どこか冷めた目で見ていたことを憶えています。-
 3号館2F、特進コースのフロアー、その奥の壁には、今年の1年特進コースが取り組んだ『職業調べ』の結果が掲示してあります。読んでみると、世の中にはほんとうにたくさんの職業があるのだということに驚かされます。よく調べられています。そして、十人十色、それぞれの生徒達の「なりたい自分」というのは違うのだということが、あらためてわかります。薬剤師、税関職員、看護師、臨床検査技師、保育士・・
何のために高校に来たのか?-

中央特進コースは、その問いに「なりたい自分」になるためにと答えます。もちろん特進に限らず「なりたい自分」が大事なこと。それが高校に行く目的であることはどの科も、どのコースも変わらないでしょう。
まだ何者でもない自分。大人でも子どもでもない自分。いわゆる境界人(マージナルマン)。いったい自分とは何なのか?自分はどう生きていくのか?ふと立ち止まって考え始めると、自らの自己(アイデ)同一性(ンティティ)が揺らぎ始めます。でも、だからこそ青春なんだと思います。
 
青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる-
 
 歌人の俵万智はこんな印象的な歌を書いています。過ち多き青春。やり直しのきく青春。
失敗を恐れない青春・・・「なりたい自分」というのは、そんな揺れつ戻りつしながら頑張る青春のひとつの答えなのかもしれません。
1年特進コースの『職業調べ』が象徴するもの。中央の生徒達誰もが「なりたい自分」になれますように。

宣誓式に向けて

 2年看護科宣誓試験の再試不合格者に話をしました。話の中で、昨年、専攻科で1年生を留年して頑張っている学生の話を紹介しました。原級留置が決まったその日、その学生は
「自分は甘かったんだってことがやっとわかりました。専攻科でがんばって看護師になりたい。もう1回1年生からがんばりたいです。」
 と語りました。涙でにじんだ瞳をしっかりとわたしに向けて。わたしは
「今までどうしてそれに気が付かなかったんだ。」
 と答えました。学生は、目頭を押さえて何度も何度もうなずきます。わたしが本当に言いたかったこと。それは「これまで、気づくチャンスはたくさんあったはず」ということ。-
 
看護師になることはそう簡単ではありません。そう甘くはない。看護科にいる限り、このことはずっとついて回ります。このことから逃げることはできません。今回の再試の不合格。この結果もまた、看護師になることはそう簡単ではない。甘くはないということをわかるいい機会です。看護科に入学して1年半、もう一度、気持ちを仕切り直す。中央高校看護科1年生から5年生まで、甘くないんだ、ということを思い知らされる機会は1度と言わず、何度もあります。うまくいかないこともあるでしょう。投げだしたい気持になることもあるかもしれない。でも、そこで仕切り直して、自分の甘さを克服していく。中央看護科の歴史は半世紀以上です。これまで数多の先輩達が、そうやって看護師になっていきました。誰もがすんなりと看護師になっていったわけではありません。
10月25日の宣誓式。今日わたしの話を真剣に聞いていた生徒達の目の輝きはしっかりしたものでした。2年看護科全員が真新しいナース服に身を包み、晴れの宣誓式に臨めるように。そして、もう一度全員で
 
看護師になるのは甘くはない-
 
 という仕切り直しをできたらと思っています。

見つけてほしい

 3年看護科が実習から帰ってきました。教室は雑然としています笑 黒板には
 
実習お疲れ様でした!-
 これまで普通科、総ビ科、看護科を担任してきて3年生の看護科が一番難しかったことを憶えています。当時は、准看養成で卒業と同時に准看護師試験がありました。生徒達には、実習のプレッシャーと資格試験に受かるのか、という二重の圧力があって、その圧力をなかなか受け入れられない、向き合えない生徒が数多くいました。実習先の九州記念病院の駐車場で、生徒達が泣きながら話すのを、ただだまって聞いていたものです。でも、そんな生徒達もなんとか看護師になって、今、それぞれの病院で専攻科の学生を指導しています。
 
年々歳々人同じからず。-
 
 3年生の看護科も同じだと思います。不安や迷い、プレッシャーや戸惑いの中で実習や勉強に追われる日々。毎日のようにある課題。とても書けないような実習記録・・・それは今も昔も変わりません。ただ、思います。先輩達が、なぜ、そういった過酷な状況を乗り越えてきたのか?-
 それは、見つけた(・・・・)からです。実習先で、患者さんに感謝されること。患者さんが治っていく姿。患者さんのあたたかい言葉・・・医療現場に嘘はありません。あるのは真実だけです。その命の現場で、多くの先輩達は見つけてきたんだと思います。看護師であることの感動を-
 
「先生、やっとわかりました。看護師になってよかった・・・」
 
 以前、表参道吉田病院に勤める先輩から突然の連絡がありました。涙ながらの℡。もう看護師になって10年。現場で励む先輩達も日々、見つけているんです。3年看護科のみんなもきっと見つかるはず。11月から最後の実習です。きついことばかりではない。真剣に向き合えば必ず見つかる。看護師であることの感動が。-
あらためて実習お疲れ様でした。

中央が好きなんです!

 いったい何を書けばいいか困っています。困っているなら書かなければいいたいなんて言わないでください。困っているのはあまりにも盛沢山だったから-
 
2回目のオープンスクール。自画自賛ですが、すごかったと思います。体育館での合唱、吹奏楽。こんなにレベルがあがっているのかと驚きでした。歳のせいか、すぐ感動で涙が出てしまいます笑 特進コースの授業。あいかわらずにぎやか、活動的、そしてパワフル。総合探究も見せたいものが多くてたくさんの人だかり、時間が足らない。美術は、「シンプルなカタチ」。作家の才能の核心に迫るレベルの高さ。深い、深い。看護科も、生徒達総動員で血圧測定。進路に悩む中学生の相談にのっています。総合ビジネス科では、シャイな2年総ビの男子2人の授業です。うん、うん、恰好だけは様になっています笑 音楽は個人レッスン、厳粛です。書道は、やっぱり書に集中。一筆に魂を込めます。これも中央ならでは、いわゆる「道」です。
中学生のみなさん、楽しんでいただけたでしょうか?-
中学生のみなさん、今の中央、そしてこれからの中央を見ていただけたでしょうか?-
中学生のみなさん、未来の自分の姿は見えたでしょうか?-
 
 われわれが、どこの学校にも絶対に負けていないと自負していること。熊本中央高校には、いろいろな先生がいます。とっても個性豊かです。みんな、言いたいことを言って、やりたいことをやって、でもいつだって生徒のために一生懸命です。もちろん校長としては、やれやれと思うこともあります笑 ただ、これが、熊本中央高校の「中央らしさ」だと思っています。そして、はっきり断言できること。それは、生徒達も保護者の方々も含めたみんな
 
中央が好きなんです!-
 
 オープンスクールは、わたしたちのそんな思いを中学生のみなさんに伝える場です。うまく伝わったかどうか・・・それはわかりません。でも、これだけは言えると思います。熊本中央高校は、中学生のみなさんの期待に絶対応えると。-
 暑い中、本校オープンスクールに足を運んでいただき、ほんとうにありがとうございました。11月最後の入試説明会があります。またお会いしましょう!

アウトプットの力

「人にものを伝えることの大切さがわかっていない!」-
 
 2年総合ビジネス科インターシップの発表会。最後に講評を話しました。発表を聞いている間、ずっと思っていたこと。総ビだけに限りません、普通科も看護科も同じです。今の熊本中央高校の課題。
 
アウトプットの力-
 もちろんこれは生徒達だけの問題ではありません。学校の、われわれ教師の問題でもあります。われわれも変わらないといけない。黙って従順な生徒をありがたがっている時代はとっくに終わっています。でも、講評ではあえて厳しいことを言いました。わたしは、校長である前に熊本中央高校の教師です。ありきたりで何にもならない話などしません。成長してほしい、頑張ってほしい、という強い期待があるからこそ、絶対に妥協したくはない。
 
「インターシップに行かなくてもわかることばかり・・・」
「コミュニケーション力が大事って今頃気づいたの?」
「仕事は大変・・・当たり前です。」
 
 厳しい言葉を投げ続けました。途中まで同席していた3年生にも聞いてほしかった。総合ビジネス科の誇りとプライド、今芽生えつつある大切なもの。はっきり言います。今の熊本中央高校総合ビジネス科には、まだまだ秘められた力がたくさんあります。まだまだ成長できる。まだまだ伸びます。これぐらいで終わっていいのか、総ビ!と訴えたい。
 
ただ、みなさんにお伝えしておきます。「インターンシップに行く目的は、たくさん褒められて、認められてくること。」というわたしとの約束。2年生の総合ビジネス科の生徒達全員ちゃんとはたしてくれました。褒められて、認められる、よくがんばったと思います。でも、それはもう当たり前です。そして次はアウトプットの力。-
うなずいていた1年生。この課題を受け継いでいくのはあなた達です。

「なぜ?」を問うこと

「授業を見に行きたいけど、どのクラスがいい?」とわたし。
「うーん、じゃあ1年2組でお願いします。」と吉村先生。
 吉村先生、御指名の1年2組。教室に入ると、全員がノート、ワークブックを机に出して、指示された通りプリントをやっています。さすが、指名されるだけのことはあります。吉村先生も、机間巡視、机間巡視、生徒達の間をまわって声をかけ、ひとり1人丁寧に教えていきます。ある先生によると、年齢よりも貫禄が先を行っているらしい吉村先生。そのキャラクターもまた愛らしい。声も元気で、笑顔がさわやか、指示も逐一黒板に書いて生徒達の学習を補助します。
「終わった人は、ワークのP24、25を~」
 すき間時間を作らないような指示、大事です。もちろん、1年2組の生徒達も、その指示に従います。よくできたものです。授業は、落ち着いた雰囲気で流れていきます。
ただ、授業を見ると、どうしてもダメ出しを思いついてしまう笑 わたしの悪い癖です。
 
「なぜ?」がない。-
 
 みなさんも感じていると思います。知識があることの価値は、今の時代なくなりつつあります。何かを知っていること。確かに、つい最近までは博学であることの価値は、一定程度社会にはあったし、知識量が多いか少ないか、それを基準に学歴社会が裏付けられていました。でも今、そしてこれからは「知っている」ということの価値はなくなっていきます。だって、誰しもスマホを持っていて、ググれば何でもわかる時代です。知識を得る、覚えるだけの学びはもう終わっています。だからこそ、「なぜ?」が大事です。根本的な意識の改革を、学校、特に授業は求められている。教師も、生徒もそのことを自覚する必要があるでしょう。 
ところで、わたしの今日の授業での「なぜ?」は
 
「どうしてケッペンは気候区分を13に分けたのか?なぜ13でないといけなかったのか?他の区分はないのか?いったい、どんな基準で分けたのか?」-
 
 「なぜ?」を問うのは教師だけではありません生徒も同じです。1年2組のみんな、優秀なみんなに提案です。授業で「なぜ?」を問うことを試みてください。きっとみんなの学びが変わるはずです。

授業を大切にする

 PC2台を肩にかけ、たくさんの教材を詰め込んだトートバッグ2個を手に提げて、今日も中冨先生は教室に向われます。中央オールドファンの皆様、最古参、中冨先生の登場です。  
専門生物、2年1組の授業。-
「これは何ですか?」いきなりうなぎらしき写真。
「うなぎです。」
「随分、適当ですね。」
「あっ、すいません。アメリカうなぎです笑」
 中冨先生は、パフォーマンスで授業を盛り上げようとか、仕掛けを練って生徒を惹きつけるといった俗人の「ちゃらい」ことはされません。あくまで実直。武器は、生物に関する先生の造詣(ぞうけい)だけです。だから気持ちがいい。
 
「形態的な系統樹とは別に、この時間はアミノ酸の違いによる系統樹を作ります。」
 
 確かに授業は難しい内容でした。2年1組の生徒達もがんばっていました。でも、それ以上に、やはり、中冨先生の何より授業を大切にする、というひたむきな姿勢が、この時間の深さ、純粋さを創っていたと思います。
 
「わからなかったら、すぐ聞いて~」
 冗談もなく、軽口も言わず、先生は、ただただ教室を周って系統樹の書き方を教えていかれます。ちょっとうるってくる光景です。わたしは、適当な授業をする教師が嫌いです。惰性で授業をする教師も嫌いです。うまいとか、できるとか、わかりやすいとか以前に、その1時間1時間をもう2度とないかけがえのないものと思い実直に取り組む。それが授業を大切にすることだと思っています。熊本中央高校の若い先生方にもこの精神(スピリット)を知ってもらいたい。うまくできるから、要領がいいからではなく、あくまで1時間1時間の授業を大切にする姿勢があってはじめて、われわれは教師と呼ばれるに足る存在だということを。-
 中冨先生、ありがとうございました。また授業を見に行きます。

時代の「空気」、そして「未来」

 2030年には今ある職業の47%がAIやロボットに代替される。-
 
 オックスフォード大学が2014年に公表した未来予測。これがある意味、今の時代の「空気」なのかもしれません。
1限目体育館で行われた1年生の進路ガイダンス。整列した生徒達に木下先生が
 
「なりたい職業の1位から100位を当ててみてください。」と問いかけます。
 生徒達は、どれかな、あれかな、と楽しそうに話し合います。世の中にはどんな職業があるのかを知る。確かに大切なことです。ただ、冒頭の「空気」が脳裏をかすめます。
就職か進学か、学校での進路指導は、この二つの軸から始まります。ある面では、生徒達をこの軸に振り分けることが全てです。その方が効率もいいし、生徒達も考えやすい。これまでの学校教育は、このシステムを、疑うことなくずっとずっと続けてきました。もちろん熊本中央高校も同じで、多くの生徒達が、そのシステムの恩恵を受けてきました。
ですが、これがいったいいつまで続くのか・・・冒頭の「空気」がまたわたしの不安を呼び覚まします。進路というのは、どうしても生徒達を、今の世の中にある枠組みに、みんな(・・・)()同じ(・・)ことをするという前提に立たせます。これ自体間違いではないし、効果的です。ただ、だからといって、これから訪れるであろう「未来」が見えているわけではありません。
 
「みんながロゴを見て知っているぐらいだから、ものすごい大企業なんです。」
 
 多くの日本企業も、これからどんな「未来」が待っているのか誰にもわかりません。終身雇用の消滅、ジョブ型雇用の導入、副業の解禁等といったこれまであったシステムがどんどん改変されています。時代の「空気」です。今の小学生の65%は、今の世の中にない職業に就く、という予想だってあります。「未来」は誰にもわかりません。でも、そのことは、これまでをずっと続けていけば大丈夫ということではありません。
 今、学校に求められていること。時代の「空気」を知り、「未来」を読むこと。-
大変な課題だと思っています。 

書の「道(みち)」

「わたしは、書道を教えたい。ただ、それだけなんです笑」-
 
 書道の増永久先生と話をするたびに、必ず、先生はそう言われます。その情熱、先生のいわれる書道とはどういったものか、ずっと気になっていました。そこで今回、よし、授業を見に行こう、と言うことで
 
「木曜日の4限目、授業を見に行っていいですか?」と尋ねると
「はい、ただ、揮毫大会前で・・・それでもいいですか?」と先生
「はい、大丈夫です。」
 
 張り詰めたような静けさ。空気の音まで聞こえてくるような集中。わたしは、ゆっくり気配を消すように書道室に足を踏み入れます。生徒は4人、正座です。紙に没我しています。
「こんにちは」
 
 挨拶の言葉は口にしますが、あくまで気持ちは書に。わたしも、どうしていいのかわからず、4人をじっと見つめます。思いました。この雰囲気は違う。何だろう、と。-
 何がどう違うのか?生徒達の様子が、あきらかに中央らしくない笑 うまく言えませんが・・・そうそう、やっぱり書道は「(みち)」なんだ、と。-
 恐ろしいほどの静寂の中、「道」って何だろう、と考えます。増永久先生が、そこまでこだわっているもの。生徒達がここまで一心不乱になれるもの。これまで人々が繰り返し繰り返し続けてきて、いつしか、それが型になり、しきたりになり、伝統になったもの。わたしの理解はその程度です。ただ、これほどまでに、人を魅了する「道」の力。
 書道部、書道専攻と言えばどうしても華やかな書道パフォーマンスに注目が集まります。でも本来は、「道」である書道にこそ、わたしたちは目を向けるべきなのかもしれません。
背筋をまっすぐに伸ばし、指先に精神を集中し、1文字1文字に魂を込める生徒達。また、熊本中央高校の別の一面を、いや、奥深さを見た気がしました。

運命の女神に好かれる

 1・2号館2Fは3年生のフロアー。階段をあがってすぐは3年5組。女子が体操服に着替え中のため廊下で試験勉強。いよいよ来週15日から就職試験スタート。それを皮切りに3年生の未来を賭けた闘いが始まります。隣の4組では、じっと、アイパッドの画面を見つめながら、面接のシミュレーションをする生徒。その隣の3組では、一般常識のプリントに没頭する生徒。しばらく歩いて3年7組では、担任の先生と進路について真剣な話をする生徒・・・のどかな朝ですが、ピリッとした緊張感が廊下まで伝わってきます。
自分は受かるんだろうか?-
自分はダメなんじゃないのか?-
 
 職員室で先生方の話に聞き耳を立てていると、そんな生徒達の「不安」のことが話題に上ります。職員室の後ろでは連日連夜、先生方と生徒達が闘っています。先生方も同じ気持ちです。だからこそ、「大丈夫だろうか?」「合格してくれるだろうか?」と心配します。ただ、ここであえて言います。
 
そんなことを考えても無駄だ、と。-
 
 未来のことなんて誰にもわかりません。わたしたちにあるのは「今」だけです。「今」に精一杯向き合うしかわたしたちにできることはありません。「今」は自分が選択してきた結果です。誰のせいでもない。自分がそうしたかった結果として「今」があります。たとえつらくとも、たとえ苦しくとも、自分の「今」を認め、そこに全力を尽くす。誰でも同じです。試験に向けて「今」できることは何か?わかっているはずです。試験に向けて自分がどうあるべきか?わかっているはずです。わたしは、生徒達に「大変だね。」という言葉をかけたりはしません。わたしは同情が嫌いです。同情は人を強くしない。同情は、人を成長させない。
「今」は自分が選んだ「今」です。自分の選んだ「今」にひたむきに、そして必死に取り組むこと。-
 
運命の女神は、そんな人が好きです。
運命の女神は、ひたむきに、必死にがんばる姿が大好きです。
 
すべての3年生が、運命の女神に好かれますように・・・

ホモ・ファーベル

ノーリフティングケア&移動補助機器の授業を見学しました。3年福祉リビングです。
講師の先生のはじめの言葉は印象的でした。
「こういった道具は、あくまで補助具であって、利用者様の自立(・・)()妨げ(・・)にならないように。」
道具があれば、どうしても楽になる。だから、それを利用しようと思う。でも、かえってそれが利用者様の自立を妨げる。なるほど、そもそも人間には自然に自立しようとする力があるということ。どんな分野でも人と関わる仕事には深い洞察があります。もちろん生徒達も真剣に聞き入ります。ただ、ノーリフティングケアの実践がはじまると、きゃっきゃきゃっきゃと、そこはやっぱり高校生
「肩甲骨ってこのへん?」
「どこ持つの?」
移動補助機器『Hug』。驚きました。さすが、よくできたもので、椅子に座った状態から立つこと、そしてそのまま移動ができる優れものです。
「これ、実習先で見ました。」と生徒達。やっぱり世の中進んでいます。
「耐荷重は100㎏です。」
なぜか一同大笑い。なごやかな中、自分も、自分もと機械を操作したがります。
 
ホモ・ファーベル
 
確か、フランスの哲学者アンリ・ベルグソンの言葉だったと思います。日本語で「工作人」、ベルグソンは、人間をホモ・サピエンスではなく、こう定義しました。人類だけは他の生物と違い、困難に遭遇するたびに道具を創造していくことで進化を遂げてきた。ただ、彼はこうも警告していました。道具に支配されてはならない。と-
実を言うと、わたしも介護について考えることがあります。もちろん知識も経験もありませんが、両親も歳をとり、何ができるのか・・・何が大切なのか・・・に思いを巡らします。
道具の効用は、おそらく計り知れないものでしょう。技術も進歩していく。ただ、その反面人間が人間らしくあるってどういうことだろう、と。-
 生徒達は、そんなわたしの小難しい胸中のことなどお構いなしに、活発、かつ積極的に、道具を操っています。若さというのはすごいものです。あっという間に操作のこつをつかみ、それを実践できる。若さは、やっぱり武器ですね笑
 いろいろと考えさせられる時間でした。講師の先生方、ほんとうにありがとうございました!
 

山より大きなイノシシはいない

「今の2年総ビには思い入れがある。」-
 
 楽しみにしていました。総ビのインターンシップ壮行会。どんな話をしようか、と。
昨年1年間、わたしが授業をさせてもらった最後の年、当時の1年7組を担当しました。はっきりと鮮明に覚えています。最初はいろいろありました。「全然、わかりません。」と堂々と言う生徒だっていました笑 厳しいから、怖いから、無理やり授業を受けていたのかもしれません。でも、1学期、2学期、そして3学期、もちろん叱られることはあったけれど・・・
時をともに過ごすことで
 
「そっか、自分だってできるんだ。あきらめずにやればできるんだ。」-
 
 きっとそう思ってくれたのではないかと確信しています。1年の終わりごろには、わたしのことを理解してくれて、「わかりません。」と声を上げてくれるようになりました。誰かの「わかりません。」が授業をさらに盛り上げる瞬間もたくさんあった。難しい数学を深堀するような授業だってできました。覚えていますか?2次関数のグラフのテストで、「はじめてです80点を超えたのは・・・」と喜んでいた自分がいたことを。
 
「あの一年を思い出してほしい。2年総ビは全然だめではないから。」-
 西口先生の話にもありましたが、もちろん先生方は心配します。でも、そんなに恐れることはない。“山より大きなイノシシはいない”と言います。世の中、いろいろと大変なことが起こるけれど、山より大きなイノシシが出てくるようなことはない。ようするに、すべては想定内ってこと。大丈夫です!

「何のためにインターシップに行くのか?それは、ほめられるため、認められるため・・・」
 熊本中央高校総合ビジネス科。なめられてはダメです。世の中に、自分達だってできる!やれるんだ、という姿勢を見せてくること。そして、自分の言葉で、自分の意志で、わたしに報告すること。19日の発表会を心から楽しみにしています。
あっ、そうそう、その中から厳選してブログに載せるので笑
 

授業はエンターテイメント!

 1・2号館ばかり、それも4Fの1年生にばかり行っていたので、週明けの今日は3号館3Fをうろうろ。端っこにある教室をのぞくと、国語の笠原先生が授業中。3年6組です。予告なし授業訪問実施中なので、後ろのドアから教室に入ります。
 教室は静かです。だからと言ってだれてもいない。これが3年生の落ち着きなのか笑
 黒板で話す笠原先生。まず字が綺麗。個人的な意見ですが、国語の先生で字が汚いと・・・いやいや、そんなことは言えない。それから、きちんとした読解の授業をやろうとしている。意外と多いのですが、国語の授業で、具体例をあげているつもりが、ほぼ脱線して、世間話ばかりになる授業。こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、昔は特に多かった笑 笠原先生はまったく違います。あくまで正統派、ザ・読解って感じです。教室に新たに設置されたプロジェクタを駆使し、スマートに、自然な流れで授業が進んでいきます。すばらしい。
「創造性は、臨機応変の延長線上にある。」-
なぜなら?
 
 授業が前半戦の佳境を迎えます。笠原先生の説明はこうです。
「超一流は、自分の課題を見つけ出し、これまであったものを臨機応変していくことで人から創造的という評価を得ます。」
 なるほど。説明としてはわかります。もちろん、生徒達もしっかり聞いていました。ただ、思います。この「なぜ?」を生徒達に投げたらどうなるのか?生徒達はどう考えるだろうか?-
 
 授業はエンターテイメントです。クラスはいろいろです。おとなしいクラス、騒がしいクラス、荒れているクラス(今の中央にはありませんが)、元気のいいクラス・・・そんないろいろなクラスをどう動かし、どう考えさえ、そういった活動を、どう楽しいと思わせるのか?
この時間の笠原先生を見ていて可能性を感じました。いずれそんなエンターティナ-として授業を創れる教師になるだろうな、と。もちろんわたしの勘です笑
 3年6組、よく取り組んでいました。さすが3年生。さて、明日はどこに行こうか・・・?

「心」が変われば、学校が変わる

 学期のはじめにいつも予定されている髪型服装検査。生徒達にしてみれば、嬉しくない行事です。本日は2年生。体育館に入って生徒達の様子、そして学年主任の森先生、生徒部長の竹原先生が何を話すのか注目していました。
 じっと見ていると、どのクラスもけっして騒がず時間通り整列。大声を出したり、注意したりする必要もない。心地よい静寂の中、森先生が話されます。顔がさがっている生徒、集中していない生徒・・・そんな生徒はいません。2年生は、素晴らしい。それぞれがよく心得て頑張っている。思いました。「しまった・・・」と。これをブログに書かねば、と。-
 でも、スマホを持ってきてはいません。近くにいた古川先生に「写真撮って、送ってくれる?」とお願いすると「いいですよ。」と快諾。今日の写真は、わたしではなく古川顕二撮影です笑 あっ、そんなことより、集会での2年生の態度、100点でした!
「始業式、登校しているみんなの様子はよかったと思う。ただ、大事なのは外。外での恰好が自分たちの評価、ひいては学校の評価につながるということを考えてほしい。」竹原先生はそんな話をされました。
 その話を聞いていて思いました。確かに、最近、スカートスカート言わなくなったな、と。以前は、ことあるごとに中央はスカートが短いとまるで鬼の首でもとったかのように言われていました。でも、今はあきらかに違う。朝から通用口に立っていても、服装で注意される生徒はほとんどいません。
 
服装の乱れは心の乱れ。どちらを直すのか?-
 
 服装指導に追われていた昔。よく、こんなことを思っていました。「心」って何だろう?それは誇りなのか、プライドなのか、伝統なのか、学力なのか・・・でも今、はっきりと熊本中央高校の生徒達の「心」が変わってきている。そんな空気を日々感じています。
 
「心」が変われば学校が変わる。-
 
 中央が好きで、中央を自分の学校だと思い、中央でやりがいを見つけ、中央で目標をみつけ、楽しくひたむきにがんばっている生徒達。そんな生徒達の「心」が学校を変えて行く。今、熊本中央高校はそんなステージを迎えているのかもしれません。
 あっ、くどいようですが、集会での2年生、ほんとうにすばらしかったです!

生徒の側に立つ

「緊張しました。」-
前日、廊下で授業を見ていたら、松嶌先生が照れていたので、今日、再度1年4組の教室に。すると何やら和気あいあいで、生徒が質問攻めにあっています。夏の思い出は?
「友達と江津湖に花火を見に行きました~」
「彼女ですか?」
「かわいい子いましたか?」
「NGはなしです!」と松嶌先生
他人事のように油断していると
「せっかくの機会だから校長先生の夏の思い出、聞いてみて・・・あと質問も・・・」と松嶌先生。容赦ありません笑 でも、楽しい。
「彼女いますか?」とある生徒
「いないよ~もう先が長くないからね、そんな時間はないよ~笑」
まさかの質問。でも、授業を創る一員になれ!と宣言しました。結構、結構。
「夏休みは気分が沈むんだよ。生徒がいるほうがいい。詳しくはブログを読んで~」生徒達は、見るからにほがらか、微笑みがきらきらしています。
 
 雰囲気って大事です。2学期最初の授業。まず雰囲気を作ろうと思ってこんなイベントを準備している・・・生徒の側に立って授業を創っていきたいという松嶌先生の真摯な姿勢、いいと思います。やっぱり、授業は楽しくないと笑 授業は、人と人とが創っていきます。確かに教える技術や教える知識が豊富であることも必要です。でも、その根本で、生徒と教師が歩み寄り、いいものにしようという気持ちがないと、けっして成立しません。そのためにも、あくまで
 
生徒の側に立つ―
 
 授業の内容はともかく笑 いい時間を見させてもらったと思いました。何を隠そう松嶌先生はわが校の卒業生。長い時間をかけ、先生になりたいと苦労して、今教壇に立っています。その心意気と人生経験が、生徒達の心の機微を感じとれるハートを育んだのかもしれません。
「ブログ書くから」
「嫌です~」
 わたしも容赦はしません笑 あっ、1年4組しっかりがんばっていました! 

改善あるのみ!

 数学科の本田先生が
「塩田先生が書いていたのを読んでこれをやってみようと思います!」
やる気満々です。ということで予告なし1年6組授業訪問です。-
 内容は、『2次関数のグラフ』の復習。一生懸命に説明する本田先生。
「忘れました~」
「わかりません~」
 生徒達は、悪気なく正直に気持ちをぶつけます。授業をつくる一員になれ!始業式でそう訴えました。だから、6組のみんなそれでいいんです。なのでわたしもお手伝い、お手伝い。
「0はどこに行く」
「ここです。」
「そうそう、そしたら0と1と4を左右対称にとればいいんだよ。」
 放課後、たまたま職員室で百田先生、澤本先生、永岡先生、本田先生が歓談中、今だと思い、2次関数のグラフをどう授業するか、これはやめたほうがいいという話をしに輪の中へ
 
「やっぱり方眼紙を使ったほうがいいんですか?」
「上に凸と下に凸を区別するだけじゃだめですか?」
「代入計算はやめた方がいい。でないと平行移動でグラフを書く意味はないから・・・」
 
 意味がわからないかも・・・ごめんなさい。でも、この光景を想像してください。これが大切なんです。お互いの意見を率直に言い合い、いいものはどんどん共有していく。世間ではよく授業力なんて言葉で、いい悪いを軽く言っています。でも、そんなに甘くはない。われわれの仕事は、常に日々の改善です。そう、改善あるのみ!こういった日々の積み重ね、教師同士がベテランも若手も関係なく、どう授業するのか、ただそれだけを純粋に忌憚(きたん)なく言い合える、そんな風土ができたらと期待しています。まずは、数学科から笑
 
「これに懲りずに、また見に行くから~」と本田先生に言うと
「木曜の3限、1の2で夏の課題発表会をやるのでぜひ見に来てください!」という嬉しい返事。楽しみにしています。
 改善あるのみ!その気持ちを持ち続けること-

なごやかに、ゆるやかに

「塩田先生、3の5には来ていませんよ。」-
白坂先生からのダメ出しです笑 確かに、白坂先生の授業は見に行ったのですが、朝のHRには行っていません。さすがにチェックが入ります。まあ、来いというなら拒む理由はありません。ということで、今朝は3の5朝のHRです。
 
「ほら、勉強道具出して、今日誕生日でしょう?」と白坂先生
「はい」
「いくつになったの?」
「18です。」
まあ、18しか答えはないんですが、話がはずみます。なごやか、なごやか。
「昨日、足の爪が割れてしまって・・・」
「えー、それ、保健室で見てもらったほうがいいよ」
クラスの面々とにこやかに話す白坂先生。一方では一心不乱にテスト勉強。集中です。わたしがいるのも気がつきません。だからといってとがった雰囲気があるわけでもなく、時間がゆるやかに流れている。いい感じです。わたしは正直、3の5のようなHRは好きです。もちろん、時と場合によっては静かにさせ、懸命に頑張らせることも必要です。でも、朝という時間、生徒達はいろいろな「こと(・・)」を抱えながら登校してきている。それがもっともわかるのが朝です。教室を周り、話をし、今日一日をがんばれる土台を作る。注意することも、ほめることも、実はそれが一番の目的です。あえて言えば、それが担任の腕です。
 
「この2学期は激動の2学期になると思います。」と白坂先生
「でも、この2学期で最後です。みなさん、JKも終わりです笑」
「あ~あ」という生徒達。
夏休み中、どこか鬱屈(うっくつ)していた思いが晴れ晴れとしたものに変わった気がしました。やっぱりわたしは教室が好きなんです。後ろの壁になぜか貼られた冗談のような『般若心経』を眺めながら、いい気分で教室を後にしました。
 明日からは、予告なしの授業訪問をやりたいと思います。こうご期待!

中央らしい授業を

 もしかしたら学校は、ずっとずっと生徒達を受け身にしてきたのかもしれません。
 もしかしたら学校は、ずっとずっと生徒達を物言わぬ、従順なだけの存在にしてきたのかもしれません。はっきり言えば、それが社会にとって都合がよかったから・・・
 
 時代の変遷を感じている方はたくさんいるかと思います。そういった発想ではもう通用しない、ということがわかっている方もたくさんいるかと思います。
今日、始業式-
 
 校長式辞の話を考えるとき、常にこのことを思います。受け身であってはならない。いや、受け身のままで安心していてはならない、と。
 
授業は先生達とみんなが一緒に創っていくもの。-
 もちろん授業に答えなどありません。でも、授業をただ黙って生徒達が聞いていればそれでいいという認識では、これからを生きる人材を育てられません。わたしたちは、どうしても学校や教師にとって都合のいいような発想をしてしまいます。黙って従順な方が楽です。何も考えず惰性でいた方が平穏です。でも、それじゃけっして授業は面白くはならない。少々、わちゃわちゃしていてもいいんです。チャレンジして失敗してもいいんです。それでも、絶対にあきらめない、そういったひたむきな姿勢こそが、やがておもしろさを創っていく・・・わたしはそう思っています。
 
中央にしかない、中央らしい授業を先生方とみんなで創っていってほしい。-
 
 こんな大きなテーマに、この2学期、熊本中央高校の生徒達がどれだけ応えてくれるのか、どんなドラマが見られるのか。わたしは期待します。期待することをあきらめません。期待するのがわたしの仕事だから笑 
2学期、このブログでも、熊本中央高校のリアルな授業の模様をみなさんにお届けしたいと思っています。楽しみにされてください!

授業ができる喜び

「まずは、ブログ用の写真、撮ります!」
「えっ・・・ブログ用だよ、ブログ用・・・それじゃだめそれじゃ・・・笑」
無理やりです。でもそこは、できた生徒達、わたしに合わせてくれます。
 さて、準備OK。授業のスタートです!3日連続、特進の話題ですが、今日だけは勘弁してください笑 いつ以来か、久方ぶりに生徒の前に立って授業をしました。
「アキレスは永遠に亀に追いつかない。ゼノンの主張のおかしいところ、どこでしょう?」
「あの偉大なピタゴラスが、無限と向き合うことを避けたんです。」
 
 何のことかわからないと思います。授業のテーマは
『無限の謎に迫れるかin ASO』-
 
 もしかしたらわたしだけがわくわく、楽しんでいたのかもしれません。でも、特進の1・2年生は、ほんとうによく協力してくれました。考えている顔、真剣なまなざし、えっ、おかしいという驚き、あっと表情が変わる瞬間、そのすべてがわたしの心を幾度となく揺さぶりました。ああ、授業しているんだな、という喜びをたっぷり味合わせてくれました。もちろん内容は易しくはありません。なんてったってテーマは「無限」です・・わかる内容をおもしろおかしく、というのも授業なら、がんばればなんとかわかるかも・・・というぎりぎりの内容を授業する。それもまた授業だと思います。わたしは数学の教師です。やっぱり数学を授業したい。そして、何よりそのぎりぎりの挑戦(チャレンジ)をあきらめたくない。
 学校よりも長い90分間。どれぐらいのものをこの時間に残せたか、いや、改善すべき点の方が多かったのかもしれません。ただ、あらためて思います。やっぱり
 
授業は生徒達とともにつくるもの―
 
 次、いつ機会があるかはわかりませんが、また精進して次の機会を待ちたいです笑 特進コースの生徒達、感謝します。ほんとうにありがとうございました!

さて、今年の学習合宿は?

 今年の特進、夏の学習合宿はどうなるのか?-
 
 朝からバスに乗り込む姿を写真に撮ります。
「はい、ちょっとストップ」
 声をかけるわたしに、ポーズをとって笑顔で応じる生徒達。1、2年生、正直言ってまだまだあどけないです。でも、昨年の1、2年生もそうだったように、懸命にがんばる先輩達の姿を見て、たった3日間ですが、その顔つきも変わってきます。
「とりあえず座って~早く、早く」
 3年特進担任の一宮先生の声。ちょっとばたばたしている模様。でも、今年は勝負の年です!高校最後の夏。3年生はきっとやってくれるはず笑
 この学習合宿には11名の先生方が参加します。これもけっして忘れてはならないこと。わざわざ毎日阿蘇まで通って授業をしていただく先生。生徒達と一緒に泊まり込んで、夜遅くまで生徒とともに学ぶ先生。授業はないけれど生徒達の様子を見に遠路はるばる阿蘇まで足を運んでくださる先生。熊本中央高校は、1人1人を大切にする。いちいちこんなことを言葉で書かなくても、多くの先生方は、それを当たり前のこととして、何の疑問も抱かず行動してくれます。ありがたいことです。
 11名の中には、実はわたしも入っています。普段、出番のないわたしに、なぜか出番を与えてくれました笑 ものすごく楽しみです。感謝、感謝。
 
 特進の学習合宿は夏の終わりを飾る一大イベントです。1年生も2年生も、そして3年生も、一人一人の生徒達が、何かをつかみ、また次のステップにつながるよう、またとない合宿になることを心から祈っています!

おすすめです!中央特進

 毎年恒例の熊本中央高校特進コースのオープンスクール。このブログでも何度も紹介している一宮先生とトリリンガル、アルワザニ先生が授業をしました。見ていて思ったこと。昨年から始めて2回目のオープンスクール。大きな違いは、この2人の先生方が、あきらかに成長しているということ。あきらかに学んでいるということ。-
 
オープンスクールと言えば、はじめて会った中学生にいきなり授業をします。題材を選び、計画を立て、何度もシミュレーションをして臨みます。もちろん、来てもらった中学生を満足させなければ何にもならない・・・そういったプレッシャーの中、はじめてオープンスクールに登場した頃の2人には、あえて言いますが、戸惑いがあり、不安もあったかと思います。でも、今は違います。自信を持って堂々と、中学生の前で、文字通りいい「授業」を見せてくれています。
 教師が成長している。-
 
 熊本中央高校特進コースは、教師が成長しているコースです。それの何が大事なのか、と思われるかもしれません。でも、実は成長しようと思わない、学ぼうとしない教師はたくさんいます。成長しようと思わない、学ぼうとしない教師からは、ほんとうの意味で何も学ぶことはできません。中央特進コースは受験に特化するだけではなく、学ぶ喜び、学ぶ意義を教師も生徒達も純粋に目指している。-
「特進コースには、中国語、韓国語、手話ができる生徒達がいます。紹介します!」
 
 やりたいと思うのであれば、どんどんやっていい。熊本中央高校も、そして特進コースもそういった姿勢です。いわゆる多様性(ダイバシティ)ってやつです笑
 中央特進、いいと思います。みなさんに自信を持っておすすめできます!

生徒の心に火をつける

 昔の話です。私淑(ししゅく)していた立命館守山のある先生が
 
平凡な教師は言って聞かせる。いい教師は説明する。優秀な教師はやって見せる。
しかし…最高の教師は子どもの心に火をつける。
 
と言われていました。「そんな教師になりたいですね笑」と。-
 どうやったら生徒達が自分で学ぼうとするのか?どんな授業をすれば生徒達が自らがんばろうと思うのか?そんな問いをずっと心に持ちながら、学校でのわたしは、それとは真逆、言うことを聞かせる、従わせることに終始していました。
 この夏、校長室と職員室を行き来するたびに、合同教室Ⅱの前を通ります。就職進学を控えた3年生が勉強しています。彼らの姿を見るたびに、この昔のエピソード、いや、今もずっと心にある問を思い出します。3年生は、全員が真剣です。寝る生徒、だらけている生徒なんて誰一人いない。この部屋の前を通るたびに感心します。学年主任の頃、仁王立ちで自習させていたこと。寝ている生徒を叩き起こしていたこと・・・いろいろあったけれど、今の熊本中央高校は、自分の意志で、自分のために懸命に学ぶ生徒がこれだけいる。
今年の3年生は素晴らしい、と。-
 学年主任の奥島先生にその話をすると
「いや、就職の子たちにがんばる生徒が多いだけですよ~」
と謙遜されます。学年の総責任者の学年主任とはそういうものです。でも、おそらく生徒の心に火をつける、最高の教師がいるのでしょう~そう信じたい笑
 
 夏のはじめからスタートした課外も今日で終わります。就職も進学も、もちろん結果がすべてです。学校は、どうしてもその結果にこだわります。でも、わたしは結果だけではなく、生きていく上で大切なこと、努力した者だけにしかわからない大切なことを、今年の3年生には学んでほしい。そして、それこそが、熊本中央高校がほんとう(・・・・)()意味(・・)で生徒達に学んでほしいことだと思っています。

保健室に行きました!

「メイクは大丈夫ですか?光の具合は?」
「大丈夫です。」
 保健室に入ってさっそくツーショット撮影。小西先生、矢壁先生とも華やかで若々しい。
するとそこに増永先生が来室。保健室で、生徒についての情報交換です。
「すぐ終わるから待っていてください。」ということで今回はインタビューというかたちでお願いしました。
1学期、熊本中央高校に初めて来られて、中央高校の印象はどうですか?-
「生徒達と先生方の距離が近くて、生徒は楽しそうで、とっても素直です。」
「毎日、保健室に挨拶に来てくれる生徒がいるんです。」
「たくさんのコースがあって、先生方との関りも深く、自分が何をやりたいのかきっかけを見つけることができるところが他と違うな、と思います。」
 
1学期、保健室で生徒達とかかわってよかったなと思うことありますか?-
「保健室の先生方を見ていて、自分も先生達みたいになりたいと言ってくれる生徒がいることです。何がしたいのかわからなかったけれど、それが見つかりました。と言ってくれました。」
「ひどい症状で、何度か保健室に来ていた生徒さんに、大丈夫だからと、寄り添いかかわったことで、自分もそんな風に人とかかわりたいと言ってくれたことです。」
 
病気でない生徒が保健室にくることをどう思いますか?-
「もちろん大勢いるときや、授業中はだめですが、保健室に来て話をしてまた(・・)がんばろう(・・・・・)と思えるのであれば、わたしたちはいいと思っています。もちろん先生方も。先生がたも遠慮なくいらしていただいてかまいません!」
 
 保健室にも日々、ドラマがある。-
学校にいると忘れがちですが、たった一人の成長はそう簡単ではありません。揺れつ戻りつしながら、生徒達は日々、思春期の峠を懸命に登ろうとしている。2人のまなざしには、そのことの大切さとそのことにしっかりかかわっていきたいというあたたかさがありました。あっ、増永先生、お待たせしました笑 保健室、また来たいと思います。

『ボッチャ』って何だ?

朝から困っていました。今日のブログはどうするのか?-
 職員室でいろいろ思いを巡らしていると、入り口付近に、古川先生と3年福祉リビング、山本凜太朗君の姿が
「今日、『中央のえんがわ』やるの?」とわたし
「はい、『ボッチャ』をやろうと思って・・・」
「『ボッチャ』?・・・ブログに載せてもいい?」
「はい」
 
ということで、さっそく10時半に多目的室にむかいます。本日は地域の高齢者の方々4名の参加。いつも、ありがとうございます。まずは『百歳体操』。元気で何より快活です。続いて、いよいよ山本凜太朗企画、『ボッチャ』のコーナー。最初はクイズから

「今年の夏、オリンピックの開会式の行われた場所はどこですか?」
「エッフェル塔の前の広場」と博学な高齢者のみなさんには簡単すぎて、大爆笑。
逆に山本凜太朗君が、高齢者の方に突っ込まれます。
 
「今年のパリ五輪、マラソンで入賞した熊本出身の選手は誰でしょう?」

う~ん、と真顔で考え込む山本凜太朗君に、高齢者の方は
「赤崎選手。九電工だから、それぐらい知らないといけない。ニュースを見なさいニュースを笑」とはっぱをかけます。
 和やかなかけあいの後、いよいよ『ボッチャ』です。説明が遅れましたが、『ボッチャ』は赤と青の球を交互に投げ合い、真ん中にある白い球にどれだけ近づけることができるのかというゲーム。単純ですが奥が深い。わたしも3年福祉リビング見崎さんと奥村さんと一緒に参加します。
 
「おもしろいね~ひさしぶりに楽しかった~」
 
 最後まで逆転、逆転を繰り返すゲーム展開に、高齢者の方々も大興奮。わたしもまさかこれほど『ボッチャ』が盛り上がるとは予想もしませんでした。何事もやってみないとわからないものです。『中央のえんがわ』に集った高齢者の方々、そして福祉リビングの3人、ほんとうにありがとうございました。夏の暑いある一日のいい思い出になりました!

救命救急講座に参加しました!

「わたしはこれまで39年間、救急車に乗ってきました。約20000人の患者さんのうち心肺停止状態の患者さんが約1500名、そのうち何名の患者さんが社会復帰されたと思いますか?」
 本日は先生方を対象にした救命緊急講座です。熊本市消防局の講師の先生は、最初にこのような問いをわたしたちに投げられました。100人ぐらい・・・いや、もっとか・・・でも、こう聞くということは・・・少ないのか・・・
 
「5名です。」
 
 その数字を聞いた瞬間、先生方の表情が「えっ」という感じに変わりました。講座ということで、何となくですが、気の緩んだ雰囲気があったかもしれません。でも、この数字を聞いて、いや、これは気を引き締め、しっかり聞かないといけないという空気にさっと変わりました。というのも、その5名の方々がなぜ社会復帰できたのか。心肺蘇生を救急車が到着するまでずっとやり続けることができたことが大きな理由だと話されたからです。
 心肺蘇生の方法、AEDの操作方法、タンカへの患者さんの載せ方等々、熊本市消防局の職員の方々にいろいろなことを質問し、たくさんのことを教えていただきました。

「心肺蘇生というのは、心臓を蘇生するというより、とにかく()()血液(・・)()送る(・・)イメージでやってください。」
「心肺停止した状態では、血圧は0ですが、心肺蘇生をすることで50(・・)まで(・・)はアップし脳に血液が行きます。」

「強くやっていると胸骨が折れることがありますが、折れて(・・・)()続けて(・・・)ください。とにかく脳に血液が行かなくなったら救命できません。」

話されること、そのすべてが知らないことばかり・・・
 
学校は生徒達の生命を預かっている。-
 
あらためてその大切なことを自覚しました。実際の場面で今日学んだことをどれだけ活かせるか、正直、自信はないですが、ほんとうにためになりました。熊本市消防局のみなさん、ありがとうございました!

ゴンドーシャロレーにて

 学校閉鎖期間中、事務長とデュオキャンプに行きました。
 場所は、知る人ぞ知る天空のキャンプ場『ゴンドーシャロレー』-
えっ、阿蘇の山奥で密談か・・・なんてことはありません。ただの気晴らしです笑
 
「ブログに載せていいですか?」
 奥様の話、学生時代の話、キャンプに賭ける思い、人生の話等々。特に奥様の話は、とってもいい話だったのですが、どうしてもブログはNGということで、残念。
「先生は、太宰っぽいですね。影響を受けていますか?」
 不意打ちのような質問。稀代のストーリーテーラー太宰治はわたしがすべての作品を読んでいる数少ない作家の1人です。が・・・どうしてでしょう?あっ、わたしが「恥多き生涯をおくってきた」からなのか・・・
「えっ、いや・・・太宰は読みましたが、影響はちょっと・・・」
「いや~太宰のような感じがして笑」
 生きることの苦悩に真面目(・・・)に向き合うとこうなる、という太宰の言葉は信じられます。ただ、いくらなんでも2回も心中するような彼に影響は受けたくない笑
「人から影響を受けるのが嫌いなんですよ。」
「知っていますよ。」
 
 何を隠そう事務長は、西南学院大学文学部、生粋の文学畑出身です。アマチュア文学愛好家のわたしとは、なぜか波長があいます。それに、文系の人にありがちの読んでもいないのにわかったように話すというインチキ臭さもありません。実直で若々しい笑 だから、文学の話や時には数学、物理学、この日は星空の話と、なかなか学校ではできない話題を遠慮なく話せます。わたしにとっては貴重なひと時です。
ただ、悠久に広がる星空、その星のきらめきに、ロマンスの欠片もなく盛り上がるおじさん2人の会話は、さすがに滑稽かも・・・という気恥ずかしさは拭えません笑 でも、太宰だって言っています。
「笑われて、笑われて強くなる」と-
 ゴンドーシャロレーの夜。(またた)く星々、あっという間に時は過ぎていきました。
事務長お世話になりました!

自分を見つめ直します。

 
 わたしは、自由な精神の持ち主だと自負していました。
 わたしは、アバンギャルドな人間だと確信していました。
 わたしは、アナーキーを恐れない人間だと思っていました。
 凝り固まった権威や根拠のない名声にとらわれない人間、それが自分だと思っていました。でも・・・
 
まだまだ、とらわれている。-
 
 ということを徹底的に思い知らされました。8月7日から始まった『学校de美術展』、中央芸術創造コース美術選択、夏の風物詩。衝撃でした。いや、まいりました。1・2号館2Fへの階段を上がり、展示室を周ります。どの展示室にも、わたしの「常識」では絶対に思いつかないであろう“自由な”発想のオブジェとシュールな表現が、圧倒的な調和で陳列されていました。こういった作品の前では
 
言葉は無力だ。-
 
 そう思い知らされます。いいとか悪いとか、そういったつまらない凡庸な区別ではなく、言葉の彼岸を目指すようなアートの力。
 
自由であることは難しい。-
 
 実感しました。ただ反面、不思議とうれしい気持ちにもなりました。いつまでも刷新しない堅苦しい学校というしがらみの中で、これだけ“自由”を表現できること。芸術創造コース美術選択のみんな、それだけで十分、価値あるアートだと思います。それだけで十分、画期的な思想だと思います。あっぱれです笑
 また、中学生のみなさん対象の絵画コンテストも同会場に展示してありました。たくさんの応募、ほんとうにありがとうございました。明日、表彰式です!
 わたしは、もう一度自分を見つめなおします。自由について・・・笑
 

夏頑張る、春微笑む

「志望動機をお願いします。」-
 
 今日は、校内選考。緊張した面持ちで校長室に入ってきた生徒達。準備してきた志望動機を語ります。
 今年度から面接練習のシステムを変えた進路指導部。生徒のためにならないことは躊躇せず変えて行く。今、実は学校に一番必要な“改善する力”を今年の進路部は見せてくれました。その成果は?
 わたしが見る限り校内選考に参加した生徒達、その誰もが、これまでしっかり練習してきたんだということがわかる内容でした。人に何かを伝えたり、思いを語ったりすることは難しいことです。予想もしなかった緊張。想定していなかった焦り。そんな中で、生徒達はよくがんばっていたと思います。
ただ、1つだけ思ったこと。-
上手く話すことと相手に伝わるかどうかは必ずしも同じではありません。それはなぜか?上手く話す、というのはどこまでも自分目線です。でも、相手に何とかして思いを伝えたい、というのは相手目線です。スキルがあって、技術があって、上手く話せれば相手に伝わる、というのは世間に氾濫している安易なハウツー本の内容ですが、それは違います。どんなにうまく話そうと、どんなにスキルがあろうと、話をする、伝える、でもっとも大切なことはマインドです。
高校生の今、心にあるマインド。-
高校生らしさ、という言葉を非難する人もいます。けれど、わたしは、高校生が高校生らしく面接に挑む、そのこと自体に価値があると思っています。教育は成果主義ではありません。生徒達が何を思い、何を乗り越え、どう成長してきたのか・・・もっとも大切なことはその過程です。
9月から就職試験が始まります。生徒達にとっては試練の夏だと思います。けれど、試練を乗り越えた先には、必ず未来があります。どこかの予備校のキャッチフレーズみたいですが、まさしく
“夏頑張る、春微笑む”
そんな未来が生徒達に開かれますように・・・本日の校内選考、しっかりがんばりました!

優秀な教師が評価される時代

 『やまと教育フォーラム2024』に鍋島先生と参加しました。-
演題は、「AI時代を生き抜くための自律的な学びとは?」。特段、新しい話が聞けるとは思っていません。ただ、自分の時代認識がずれていないか、おかしくないかということを確かめるために参加しました。内容は、おおむねわたしがオープンスクールで話す「個別最適」や「協働的」といったものでしたが、印象的な言葉もありました。
 
「物事をわかったり、取得したりするのには個人差(・・・)があります。これまでは教師(・・)()()()都合(・・)でそれを全員同じ時間に無理やり(・・・・)押し込み優秀か優秀でない、を決めてきた。でも、教育DXの発展はそういったこれまでの意識を変えていきます。」
「教師主導の授業では、主体的に学ぶ力を付けることができません(・・・・・)。大学生でも一方通行の講義を聞く限界は2コマ、180分。50分ずっと話し続けるなんてもはや拷問(・・)です笑」
 
 生徒に厳しく自分に甘い教師はたくさんいます。学ばない教師もたくさんいます。時代に自分を合わせられない教師もたくさんいます。同じスタイルをずっと変えようとしない教師もたくさんいます。でも、それじゃ、これからは通用しないということ。今後ますます“優秀な教師”が必要とされる時代が来る。いや、もう来ている。
 教育の世界は、実は「いい」「悪い」がはっきりしない世界です。「いい」教師、「いい」学校・・・ずっと避けてきたこと。もう逃げられない。わたしは、いい時代が来たと思っています。学び続け、鍛錬し、自分に厳しく、生徒のために頑張る“優秀な教師”がはっきりと評価される時代。そうなるべきだと・・・みなさんもそう思いませんか?
 
「30人クラスで、1対30と思っている教師はいい授業なんてできません。1対1が30組あると思い、それを活かせる教師こそいい授業ができる教師です。」
 
 帰りのタクシーで、鍋島先生が批評を語ります。彼もまた「いい」教師になりたいという志を持っています。立派です笑

今日、ヒロシマ原爆忌

 今から79年前の今日、朝8時15分、アメリカ空軍B29が飛行する広島上空、約10000メートルから原子爆弾「リトルボーイ」が投下されました。激しい閃光と爆風は一瞬で広島市街を破壊し、およそ20万人の無辜(むこ)の民の命を奪いました。原爆投下直後の様子を描いた小説『夏の花』の作者原民喜は、次のように書いています。
 
 このことを書きのこさねばならない、と私はこころに呟いた。けれど、その時はまだ、私はこの空襲の真相をほとんど知ってはいなかったのである。
-『夏の花』・原民喜-
 
 被害は彼の想像を絶するものでした。焼け焦げた死体の山、ただよう死臭、燃え続ける炎、家屋は倒壊し、川は熱を帯び燃え続けていました。まさに地獄絵図・・・彼は、最愛の妻を探し続けます。けれど、さまよい歩いたさきにあった現実。彼の妻はこの原爆投下で命を落としました。今から79年前の出来事です。
 
 教え子を再び戦場に送るな-
 戦後教育は、このスローガンで再スタートを切りました。平和と民主主義。そこには、戦前、生徒を国家に(じゅん)じさせる、という愚かな考え方に協力し、その結果として多くの教え子たちを戦争で亡くしてしまったというたくさんの教師達の悔恨と反省がありました。
 歴史は時とともに風化していきます。それは致し方ないこと。ただ、われわれ教師が忘れてはならないこともまたあるかと思います。
たった1人、熊本中央高校の平和宣言です。今日、ヒロシマ原爆忌に-

歌に思いをのせて

 負けてないな、と思いました。
大人数の合唱にも、ハイレベルな技術にも、すごい歌声にも・・・
 先週の土曜日、県立劇場で「第79回九州合唱コンクール熊本県大会」がありました。
 これまで何度かこのコンクールに来ていますが、正直、いわゆる名門には勝てる気がしませんでした。精一杯がんばれたらそれでいい・・・あろうことか、そんな弱気とあきらめを、心のどこかに抱いていたように思います。でも、今回は違いました。

(お詫び 他校のこと等不適切な内容があり、削除の上お詫び申し上げます。)
 わが校の合唱。たった12人です。他校よりもあきらかに少ない。ただ、どの学校とも決定的に違っていたのは、ひとつひとつの言葉が音にのってはっきりと聴こえてきたということ。えっ、と思われるかもしれません。何、それ?って・・・音楽はピアノでもギターでも、どんな楽器を弾くにしても、合唱で歌を唄うにしても、音や言葉が分離していないと、全体がこもって聴こえてしまいます。それから、伴奏とのバランス。少人数ならでは、考えつくされた大塚先生の伴奏とぴったりマッチした歌声は、あたたかな聴き心地、けっして気どらず、素朴で等身大のステージを見事に作り上げました。もちろん、自然と感動の涙がこぼれます笑
 遅くに大塚先生からのline。
「ありがとうございました。銀賞でした」
 銀賞。すばらしい結果だと思います。でも、それ以上に、言葉を、そして音楽を、聴いてくれる人たちに届けよう届けようとするその姿勢とひたむきな思いが、ちゃんと評価されたことがうれしいです。
 始業式でやりましょう~大塚先生にはそう伝えました。合唱部、よろしくお願いします!

あなたはわたしの夢だから

夢という言葉をずっと考えていた1日でした。-
2年生の修学旅行保護者説明会&進路ガイダンス。この危険な暑さの中、たくさんの保護者の方々に御来校していただきました。
「夢を見つけるため、夢を叶えるため=進学する!」
修学旅行保護者説明会で、森先生はそう語りました。
「夢を叶えるためには計画的に!」
進路ガイダンスで、講師の先生もまた、そう語られました。
 人に夢と書いて(はかな)いと読む。若い頃、たまたまかじった言葉に浸って、ちょっと斜めに人生を見ていました。学生時代のわたしです。権威が嫌いで、威張っている大人が大嫌いで、素直に人の話が聞けない・・・でも、無力で、生意気で、どうしようもない。夢なんてどうせ・・・そんな不遜(ふそん)な思いは、熊本中央高校に来てからも続いていたように思います。
『不良少年の夢』(義家弘介著)-
 そんな頃、この本を読みました。すべてから見放された札付きの不良(義家)と担任の安達先生の物語。安達先生との出会いが義家を変え、彼は全国初の中途退学者受け入れを可能にした北星余市高校を卒業します。その後、無事大学に入学した義家は、ある日のアルバイトの帰りにバイク事故を起こします。死地をさまよう義家、その病床に遠く北海道から安達先生が駆け付けます。
「あなたはわたしの夢だから・・・」
 もうろうとする意識の義家に、安達先生は涙を流しながら、何度も何度も、そう語りかけたと言います。わたしが、ほんとうの意味で夢という言葉に出会えた瞬間でした。
「あなたはわたしの夢だから・・・」
 教師というのはすごい職業だな、教師というのは素晴らしい職業だなってことを夢という言葉を通して知ることができました。わたしにとってのきっかけ
「あなたはわたしの夢だから・・・」
 あれから長い年月が経ち、歳をとりました。懐かしい話です。誰かの夢が誰かにとっての夢になる・・・素敵な物語(ストーリー)です。それができる職業、それが教師です。

やります!面白い数学の授業を

「授業とは何か?」-
 
 エネルギッシュな一宮先生の声が会場に響き渡ります。先月の27日から3日間、豊橋で行われた全国私学教育研究大会、通称「全私研」の数学分科会に百田先生と一宮先生と一緒に参加しました。数学の授業を面白く!埼玉自由の森学園、同志社、立命館・・・全国の名だたる私学の数学教師、そのトップランナー達が、ただただ、そのことだけを追究する。そんな高揚とした熱量の中で、一宮先生は、そう語りました。
 
「授業は「受ける」ものではありません。授業は「つくる」ものです。」-
 
 物怖じせず、正々堂々とそう語る彼女の姿に、わたしも百田先生もまた力強く頼もしい自信を感じました。一宮先生の力とその思いは全国の多くの数学教師の心を揺さぶったはずです。
 今週の月曜日からは大分で行われた九州数学教育研究大会に、3人に加えて、白坂先生、澤本先生、本田先生、永岡先生の計7人で参加しました。今、数学科はわたしが抜けて若返り、「今のままの授業でいいのか?」「どうやったら授業が面白くなるのか?」といったピュアな願いを持った先生方ばかりです。研究会に足を運び、授業を見て、話をして・・・どんなことでもいい、少しでも自分の力になること、自分の意識を変えて行きたい・・・たとえ明確な答えはなくても・・・いい教師は学び続けます。いい教師は、けっしてモティベーションが枯れません・・・世代を超えて彼らと語り合う中で、わたしも率直に自分の思いを語りました。

 
「2日間で学んだことを普段の授業に!夏休みから教材研究頑張りましょう!」-

数学科のグループlineに一宮先生から各先生方に。
 わたしが授業をすることはもうありませんが、2学期からの数学の授業、みなさん期待していてください。万が一、面白くなかったら遠慮なく校長室まで笑
 数学科の先生方、お疲れ様でした。

君に捧げる応援歌

 本日、早朝7:00。中央書道部が松山で行われる『書道パフォーマンス甲子園』に出発しました。初出場です!中央に書道部ができた頃を思い出します。

 

歩んできた道に仲間がいて 忘れることはない

嬉しかった日 悔しかった日 共に泣いた日 共に笑った日

-Hippy『君に捧げる応援歌』-

 

 書道の経験者がいたわけではありません。施設や道具がそろっていたわけでもありません。紙もない、場所もない・・・そんな中で力を合わせ、けっしてチャレンジをあきらめなかった。実績のある生徒達を集めて成果を出す。多くの私学がやっていることとはまったく逆です。一から自分達で考え、努力し、時には涙を流し、悔しさを乗り越え、ひたすら前へ前へと歩んできた。書道パフォーマンスもまたしかり。どれだけ失敗したでしょう。笑われたり、(さげす)まれたり、挑戦してもなかなか予選を通過できなかった・・・でも、そういった歴史が、ほろ苦くも忘れられない足跡を残しました。

 みなさんはどう思われるでしょう。教育って、本来、こうでなければならないとわたしは思います。繰り返しますが、実績のある生徒を集めて成果を出す。誰のため?学校のため・・・でも、それは違うでしょうって言いたい。

 優勝するとかしないとか、そんなことよりも真の教育がここにあるということ、あきらめない、めげない、くじけない生徒達がここにいるということを声を大にして訴えたい。

初の全国大会。

 

立ち上がろうとする君に捧ぐ 君への応援歌 全力注ぐ

負けそうなときは思い出してよ 過ごした日々をこれまでの足跡

-Hippy『君に捧げる応援歌』-

 

 全国に届け~中央書道部の書の力!そして飽くなきひたむきな思いよ。新たな一歩が、また次の一歩へ。がんばれ、書道部!

元気と勇気を届けたい!

 今日はオープンスクール。
「どうせ誰も来ませんよ?」校長ブースの悪口です。
「来ても2,3人でしょう?」
 そんな悪口を目の前で堂々と言われて、あまりにも悔しかったので笑 
「校長ブース、みなさまにお土産を準備しております!」
 と予定していなかったことをうっかり体育館で言ってしまいました笑
 
 けれど、蓋を開けてみるとどうでしょう。ひっきりなしに中学生のみなさん、保護者の方々が訪れてくださり、ずっとずっと、みなさんにお話しができました。普段、わたしは残念ながら出番がありません。授業とは呼べないようなものですが、多くの中学生のみなさんにお話しができたこと。ほんとうに楽しかったです。来ていただいた方々、あらためてありがとうございました。
 
 教師をしていると思うことがあります。もしかしてわたしたちは、生徒の能力や生徒のあり方を選別するのに手を貸しているんじゃないだろうか、と。-
 誰にでも可能性はある。やればできる。そんな言葉を発しながら、実際には、できる子できない子、わかる子わからない子・・・といった具合に、生徒達を色分けすることに加担しているのではないか・・・確かに、人はそれぞれ違います。何が違うのか。われわれにそれを決めることはできません。能力のあるなしだってあるでしょう。でも、学ぶために、自分を磨くためにせっかく学校に通っているのに、結局は選別され色分けされてしまう。ほんとうにそれでいいのでしょうか?
 体育館でのウェルカムスピーチ。これまでの学校になかったもの
Who are you ?-
 わたしの思いは、学校という場所が抱える矛盾。その矛盾を乗り越えるために何とかしたいという気持ちに支えられています。
「お土産は、勇気と元気です!」
 本日、校長ブースに来てくださった皆様に、勇気と元気、ちゃんと届いたでしょうか?次は、9月です。猛暑の中、熊本中央高校のオープンスクールに足を運んでいただき、ほんとうにありがとうございました。

三本の矢

 この3人←をご存じでしょうか?-
何を隠そう、熊本中央高校の大黒柱、学年主任の先生方です。向かって左から1年生の松本先生、2年生の森先生、3年生の奥島先生。
 学年主任というのは最前線の司令官のような存在、この3人の腕次第で中央の教育が左右されるといっても言い過ぎではありません。そういうわけで、日々、相当なプレッシャーの中で激務に当たられています。
 1年生の松本先生。歳がばれるので言っていいかどうか躊躇(ちゅうちょ)しますが、わたしと同期です。長年ともに担任をしてきて、まさしく中央のデータベース。とにかく生徒をかわいがります。そして、あきらめない・・・頭が下がります。2年生の森先生。彼もまた、ずっと一緒に担任、あるいは学年団をやってきた戦友です。今年、満を持して学年主任になって、「日々、気持ちがすっきりしています。」と話してくれます。よく生徒を叱っています。
でも今、この姿勢が現場にもっとも必要だと思います。教師は熱くないと・・・笑 3年生の奥島先生。はじめての学年主任、はじめての3年生、いつも朝から教室を回って、何かあればすぐ動く、毎日毎日、担任の先生方の話をしっかり聞く・・・たまに謙遜を口にされることはありますが、どうしてどうして今の3年生は奥島先生の力で成り立っています。
 1学期を振り返り、3学年とも、確かにいろいろありましたが、そのたびにきちんと受け止め、真摯に生徒と向き合い、いい学年団を創ってきたと思います。1年生がどうしたとか、2年生がどうしたとか、今年の3年生がどうとか・・・そんなことはたいしたことではないと思っています。それがわたしの3人の学年主任の先生方への信頼です。
 
 毛利元就の有名な話。一本の矢はたやすく折れるけれど、三本まとめればそう簡単には折れない。彼は遺言で、そう3人の息子たちに語ったと言います。
 三本の矢は折れない。-
 まさしく、今の熊本中央高校の力を象徴する言葉だと思います。あらためて3人の先生方、それぞれの学年、よろしくお願いします!

スイカと夏のサプライズ

写真はバッチリ決めたのをいただきました!
「失礼します~」いきなりのことでした。
「スイカを持ってきました~」と3年9組の甲斐さんと坂根さん←
「えっ、わざわざ校長室にスイカ持ってきたの?」とわたし
「はい、おいしく食べてください!」
「ブログに載せていいですよ~」と2人、すかさずシャッターポーズ。
「ごめん・・・今、スマホ持ってない・・・」とわたし
「え~」とがっかりした様子。
 昨日の事です。なんと、こんな一幕がありました。驚きです笑 まあ、夏休みに入ってちょうどネタに困っていたところだったので、あげてくれと言うならあげるのはいっこうに構いませんが、あまりにも謎すぎます笑 3年9組からスイカをもらうようなことをしただろうか?いや、もしかして罠かも・・・いや、賄賂か・・・どこまでいっても3年9組の思惑がわかりません。ただより怖いものはない・・・若ぶってはいますが、わたしも基本は古い人間なので・・・どうしても考え込んでしまいます。食べるべきかスルーするべきか?いやいや、スルーはせっかく校長室まで届けてくれたのに申し訳ない。でも、食べたら何かよからぬことが起こるかも・・・とおよそ5分近く、スイカを見つめ、じっくりと熟考したあげく、結局食べることにしました笑 食べるならごちゃごちゃ言わずに早く食べろよって思われたかもしれません。その通りです。いや、食べてみると、スイカ、めったに食べないからとってもおいしい~笑
 放課後、担任の守田先生に「なんで?」と聞いてみると、わざわざ校長室の場所を事務室で聞いて、どうしてもということで校長室まで持ってきてくれたようです。ありがたいことです。いろいろ詮索して申し訳ない。今からこの文章を書き直したいぐらいです笑 
事務の塚本さんに言われました。
「かわいいじゃないですか~」
 確かに。でも、こんなことってあるんですね。夏の日の心洗われるサプライズ。いい思い出になりそうです。甲斐さん坂根さん、ほんとうにありがとう!

国試の合格率より大切なこと

「これまでの悪循環を断ち切りたい!」
 専攻科の終業式。伝えたかったのはそのたった一言。合同教室Ⅰにそろった1年生と2年生。「はい」という返事。そして、みんな真剣なまなざしでしっかりと頷いてくれました。
 看護師を目指すという過酷な状況を受け止められず、自分の弱さに逃げ込み、生活が乱れる、ということが少なからずあったここ数年。留年者や休学者も続出し、専攻科の学生の前で話す内容も、厳しく迫ることばかり・・・別に、厳しいことを言うのは構わないのですが、これでは、専攻科で看護師になろうと懸命に励んでいる生徒の心に、「よし、やるぞ」という火は灯りません。この悪循環を断ち切りたい!
 学科長の岩上先生に
「1学期はどうだったですか?」と聞くと
「いや、みんながんばっていますよ。この時期なのに、授業態度がほめられました。」
 
 国家試験の合格率が高いとか低いとか・・・よく問題にされます・・・あたかもそれがすべてかのように・・・確かに、看護師養成機関である以上数字は大切です。でも、けっしてそれだけではない。専攻科には、長年にわたって臨床経験を積まれた看護のプロフェッショナルの先生方がいます。看護の醍醐味、看護のすばらしさを伝えたい。看護学生とともに看護の道を究めたい。そんな熱い思いを持った先生方です。この先生方を活かす専攻科でないといけない。わたしはここ数年、国試の合格率よりもそのことを1番に考えてきました。だからこそ
「悪循環を断ち切りたい!」
と思っています。
 本日、10時から専攻科の保護者会があります。保護者の皆様には、これまでの専攻科、そしてこれからの専攻科についてしっかりご理解いただき、学生達を支えていただけたらと思います。目指すところは同じです!よろしくお願いいたします。
 

みなさんに支えられています。

「えー、今ですか~もう化粧がぼろぼろなのに・・・」
「女心わかっていませんよ~」
「普通、朝でしょう朝・・・」
 昨日の夕方、塚本さん&池田織先生のツーショットを撮ろうと玄関にある中央ボードに、「重大ミッションがあるから」と2人をおびき出したところ、いきなり、矢継ぎ早に怒られます・・・たじたじです笑 まあ、乙女の気持ちは察しがたい・・・わたしもまだまだ修行が足らないということで、本日朝から撮影しました。これで文句はないでしょう。化粧も表情もばっちりのはずです。
 わたしのブログ、実はわたしだけの力で配信できてはいません。写真と文章を塚本さんに送って、塚本さんがレイアウト、フォントなどセンスよく編集してくれて世に出ています。そして、それを毎日、生徒募集担当の池田織先生がインスタグラムにあげてくれているんです。ありがたいことです。少々、怒られるぐらいは我慢しないといけません笑
 塚本さんは、ブログ担当ではないのに、好意で多忙な事務の仕事の合間にブログの編集をしてくれています。
「どれも同じような写真で・・・」
「塩田節ですね~」
「昨日までちょっと厳しかったから今日は明るく・・・」
 いつもちゃんと文章を読んで、本音で批評してくれます。そこが感心なところです。スーパーエクセレントの池田織先生も
「わたしの写真、10万円ですよ~笑」
と突っ込んできますが、文句ひとつ言わずインスタにあげてくれています。
 あらためて思います。この2人、いやこれまで登場してくれた生徒達、先生方、すべての方々に支えられてこのブログは成立しているんだ、と。そして、もちろん読んでくださる方々にも感謝しないといけません。
 今日で1学期が終わりました。でも、まだまだブログは続きます笑 多くの方々に支えられながら・・・

表現できない何か

「来週、先生のクラスで最後です。朝のHRを見学していいですか?」
「えっ、最後ですか?」と濱田先生
「はい」とわたし
 
 最後というのが問題なのか、いや、プレッシャーなのか、担任の濱田先生は苦笑い。ただ、正直に告白すると、すべてのクラスの朝のHRを見学したわけではありません。授業とかイベントなど別の理由で見学に行ったという意味で全クラス中の最後ということです。言い訳がましい・・・いや、言い訳ですね笑
 さて、予告通り今朝は3年11組です。昨日の10組と違って、教室に入ると全員が静かに勉強中。最近の看護科は、教科書で学ぶのではなく、ipadを駆使して勉強をすすめます。すべての専門科目の教科書が全部この端末に入っていて、専攻科まで使えます。時代ですね・・・ほんの10年前だと考えられない。だから、生徒達も扱いに慣れていて、器用に、計算をディスプレイ上でやります。それも指で

「もう、ノートはいらないんじゃないの?」とわたし
「はい」
と思って隣を見ると、ノートに手で必死に計算する姿。
「いや、ノートを使う人もいるよね・・・もちろんいいんだよ。」
と苦笑い。
 朝のHRを見学すると、たった数分間ですが、クラスの色というかクラスの空気というか担任の思いというか、うまく“表現できない何か”を感じます。わたしも昔を思い出しました。あんまりよろしくないクラスだったので笑 卒業を間近に控えたある日の朝
「まわりはいろいろ言う。しょっちゅういろいろ言われる・・・でもね、最後はこのクラスにいる一人一人が納得すること、よかったなと思えること・・・それだけでいいと俺は思っている。まわりは関係ない!」
 明日で1学期も終わりです。あらためて3年11組はちゃんとしていました!立派です。
3年後、みんなの願いが叶いますように・・・心からそう祈っています。

ものさしは一つではない

朝から突然お願いしました。
「すいません、突然だけど朝のホームルームを見に行っていいですか?」
「え~、ごちゃごちゃうるさいですけどいいですか?」と中村愛先生。
「いやいや、いいですよ。大丈夫です。」とわたし。
 3年看護科2日目リポート。本日は3年10組、担任は中村愛先生です。副担任の冨田由佳子先生もいらっしゃいます。
 教室に入ります。確かに、ざわざわしています笑 昨日の9組とはちょっと違います。中村先生が声を張り上げて指示をしていきます。
「クラッシー、模試、数学のアンケートの3つのうちのどれかをやるんだよ~」
 うなずく生徒、「はい」と答える生徒。ちゃんといます。確かに静かではないですが指示は通っています。正直、黙ってただ言うことを聞けばいいと思っているクラスより、反応があって、わからないことはわからないと意思表示できるクラスの方がわたしは好きだし、いいと思います。
 ただ、ちょっと思いました。担任の先生方は、突然、校長が朝のホームルームに行くって言ったら気を遣うのだろうな、と。-
 でも、安心してください。各クラスのいい悪い、を指摘しようなんて(はな)から思ってはいません。そもそも、そんなものはわからないし、もちろん正解なんて一つではない。人に十人十色と言うように、クラスにも様々な色があっていい。教師にとって都合のいいだけのクラスなんて成長の兆しが見えません。時代遅れです!
“ものさしは一つではない”
 このブログでも何度か書いていますが、われわれは機械ではなく人を相手にしています。この複雑で、精妙で奥深い人という存在を、そう簡単に評価したり、決めつけたりすることはできません。だからこそ教師という仕事は、ロマンであり面白いんだと思っています。
 3年10組は3年10組らしくあっていいと思います。ただ、3年後、看護師というみんなの夢がきっと叶うように・・・そこだけは、忘れずがんばるように!笑

伝統の力

 このブログを読んでいるという保護者の方から
「校長先生、どうして3年看護科は載らないんですか?」
 というご指摘を受けました。
「いやいや、そんなことはありませんよ。1年生から順番に、登場しないクラスがないように順番に回っています。」とわたし。

 ということで今日から3日連続3年看護科をリポートします。まずは3年9組。担任は本校看護科の卒業生、守田先生です。教室に入ります。まず思いました。何だかんだ言っても、やっぱり中央看護科の3年生です。模試に向けての勉強に全員きちんと取り組めています。声を掛けながら教室を周る守田先生。その光景がなじんでいるというか、フィットしているというかクラス全体が自然な雰囲気で、まったく違和感はありません。さすが、3年生です。
「テストはいつあるの?」
「22日です。」
「自信ある?」
「はい!」
「ほんとに?じゃあ、ブログに書いてあげよう」
「いや、嘘です。やめてください。」
 いい話は隠さない。それが、わたしのポリシーです。世界中に発信します笑
 3年生のこの時期、看護科が一番難しい時期です。自信と不安、現実と逃避・・・気持ちがゆらぎ、どんな生徒でも思い悩むことは1度や2度ではありません。笑顔でがんばっている3年9組にもいろいろあるんだろうなあと想像します。でも、これまで多くの看護科の先輩達が、そういった「自分」を克服して看護師になっていきました。わたしの教え子にもそんな看護師がたくさんいます。
およそ50年にわたる中央看護科の“伝統の力”。-
みんなには“伝統の力”という強い味方がついています。きっと乗り越えられる!そんな期待を込めながら、にぎやかな教室を後にしました。

子どもは小さな大人ではない

 3年福祉リビング、保育実習の見学で幼稚園に入ろうと坪井幼稚園の正門に・・・でも鍵がかかっていて開きません。
「なんでインターフォン押さないんですか?不審者かと思いました。」と怒られます笑
でも、めげないで何とか入園。
「誰なの?」「どこから来たの?」「今ね、アンパンマンの塗り絵が終わったの・・・」「みんな、身長計っているよ・・・」と矢継ぎ早に、寄ってきた園児たちがぴょんぴょん飛び上がりながら話しかけてきます。
やっぱり、子どもはいいです・・・空気とか、忖度とか大人のように妙な駆け引きまったくない。思ったまま、見たままを口にします。
「高校の先生だよ。」「先生?」「そうそう」「あそこにも先生いるよ~」と向こうにいる幼稚園の先生のことを教えてくれます。そうです。同じ先生です笑
走り回り、じゃれあい、言葉を交わし・・・疑問に思ったこと、なぜだろう?と思ったことを遠慮せず言葉にする。ほんわかとした清々しい光景です。
「ここに何人いるかわかるかな?」そう尋ねると
「いーち、にー、さん、よん・・・4人!」
「すごいね~」と4人で拍手。そうこうしているとやっと3年福祉リビングが登場。でも、ごめんなさい。もう保育実習のことはすっかり飛んでしまっていました笑

 すべての子どもたちが健やかに幸せに生きること。世界中の誰もが、このことを何よりも1番大切だと思えるのならば、戦争や人間同士の争い、弱い者たちが犠牲になるような悲劇は起こらないはずです。小難しい理屈や思想なんていらないんです。
「子ども」を発見したと言われるフランスの思想家ジャン・ジャック・ルソーは、
“子どもは小さな大人ではない”
と言いました。深い言葉です・・・
楽しいひと時、園児のみんな、ほんとうにありがとう!

3つの力で

「いろいろ迷ったんですが、中央にやってよかったです!」
「今の中央は勢いがあって、他と違いますよね・・・」
 後援会の保護者の皆様とお話しするたびに、こんなありがたい言葉をかけていただきます。
毎月第2水曜日の夜19時。後援会の運営委員会。以前は、何となく集まって、何となく話してみたいな感じだったのですが、今は違います。現在の会長、副会長、そして学年委員さん方の熱がびしびしとわれわれを刺激します。
「ご意見をください!批判でも何でも結構です!」とわたし
 
 では、ということで今年は、中央初、後援会の保護者の皆様にもオープンスクールに参加していただくことになりました。名付けて『後援会カフェ』。みなさん、やる気まんまんです笑。
「いい話ばかりでなくてかまいません。悪いところも遠慮なく話されてください。みなさんが見られた今の中央の“ありのまま”を率直に伝えていただいてかまいません。力を貸してください!よろしくお願いします。」
 昨今、教師と保護者の関係をよく言うメディアは少ないです。クレーマーやらなんやら・・・でも、わが子のことを思わない親はいない。生徒のことを思わない教師はいない。われわれの目指すところは同じはずです!生徒の力、教師の力、そして保護者の力。この“3つの力”で熊本中央高校の教育を創っていく。わが子を思う声が、生徒を思う精神(スピリット)が、必ず生徒達を変えて行く、さらには学校を変えて行く・・・オープンスクールでは、この“3つの力”の本気を見ていただければと思っています。

時代は、課題発見力です。

 進路の研修に参加です!先生方も学びます。今回は、(株)イズミ(ゆめタウン)の人事担当、池田由衣さんに来校していただき、ずばり、面接についてのレクチャーをお願いしました。いよいよ就職試験シリーズ到来、コンセプトは、実際に採用を担当されている方から面接のエッセンスを学ぶこと。
 ただ、お話の中で、ある言葉が気になりました。評価基準の中にあった“課題発見力”という言葉です。ちなみに課題解決力ではありません“課題発見力”です。何の本か忘れましたが、『これからは課題解決力ではなく課題発見力(・・・)です。なぜなら、解決はAI技術があっという間にできるから。解決は必要ないんです。』と書いてあったのを読んだ記憶があります。 
例えば、飲食店に入ったとします。メニューを見て注文します。そして食します。その過程の中で、飲食店の課題は何なのかを発見する。なかなか難しい。いや、そういった視点を常に持って日常を見ていないと、けっして気が付かない。さらに言えば、なぜ?という気持ちがないとすべての景色に色がなく、モノクロの、個性のないものに見えてしまうでしょう。そうそう課題なんてあるはずはない、と。でもそれではだめ!と言うわけです。
 難しい時代になりました。まったく何も知らない白紙の状態から発見なんて大人だってできません。でも、逆に言えば、“課題発見力”は多くの生徒達の可能性を広げるのかもしれません。ポジティブに考えるしかない!われわれ教師が、型にはまった見方を正しいと思いこまなければ・・・笑
 “課題発見力” やはり実際に企業で働かれている方の話を聞くのは勉強になります。池田さん、ありがとうございました。
 

ほんとうに変わるべきもの

Amazon創業者のジェフ・ベゾス
 「目的のわからない、時間ばかりかかる会議はやめろ!」
 「価値(ヴァリュー)の出せない者は今すぐ出ていけ!」
 今世界を席巻するAmazon、その創始者ジョフ・べゾスは日頃から社員にこう繰り返したと言います。慣例や慣行、定例を忌み嫌い。停滞を恐れ、常に創造と破壊、イノベーションを繰り返す。そういった変化を恐れない姿勢が、現在のAmazonを創ったと言われています。そして、Amazonは今も現在進行中です
 4月に入って、〇〇総会、定例〇〇会、〇〇理事会等々に行く機会が増えました。名前はともかく、ようするに会議です。ただ、そういった会議に参加するたびにべゾスの言葉と姿勢を思い出します。
「だから日本はダメなんだな・・・」それが正直な印象です。「日本にジョフ・べゾスはいないのか?」とても想像できません。
議案とは名ばかりのただの報告。書いてあることを読み上げるだけの進行。たまに出る的外れな発言・・・目的意識も問題意識もなく、ただただ時間だけを消費する。どうしてもっと学校の課題を考えないのか?どうしてもっと危機意識を持たないのか?憤りとあきらめが気持ちの中で交叉していく・・・今のままの学校が今後ほんとうに生き残っていけると思っているのでしょうか?これまで続いてきたからこれからも続いていく・・・少なくもわたしはそんなにお目出度くはありません。どうやったら熊本中央高校が時代の中で生き残っていけるのか?どうやったら熊本中央高校“らしさ”を世に訴えていけるのか?
世間は、時代に遅れている学校教育の変革を言います。でも、ほんとうにそうでしょうか?ほんとうに変えるべきは、こういった会議をありがたがっていつまでも続けようとしている現場から離れた人たちの意識なのではないでしょうか?
「私学は一つ」。-
馬鹿を言っちゃいけません。われわれは、どこよりも、いや、どこにもない教育を、真の意味で時代に先駆けた教育を生徒達に常に提供できる学校でありたい。本気でそう思い必死の努力を続けています。ほんとうに変わるべきもの・・・みなさんはそう思いませんか?

何のためのテストだろう?

 「同じようなことを言っていたなと思って・・・」
進路部の一宮先生が持ってきた雑誌は、ベネッセの刊行物、『VIEW next』。表紙には大きく“定期考査は必要か?”という何やらチャレンジングな特集の紹介。
同じような・・・いやいや、わたしはもっと過激です。正直、テストなんて必要ないって思っています。なぜって、授業がテストの予定で制約されるから・・・別にテストなんかなくても授業はできるし、むしろ本来授業とはそういうものだと思っています。テストのために授業をする。どうにもこういった浅い思想が受け入れられません。そもそも生徒の能力を単なるテストだけで評価しようという教師の傲慢さと無知が理解できない。それなのに、可能性やらやればできるやら、といった学校の中でしか通用しない聞こえのいい文句が飛び交っています。だいだい人の能力なんて誰にも計れない。もし計れると思うのならば、それは人間に対する冒涜以外の何物でもない・・・いや、いけない、いけない、このまま続けると大変なことになりそうなのでやめます笑
テストは“きっかけ”だと思っています。どんな“きっかけ”か。-
みんな数学が苦手だと思っている。みんな数学が難しいと思っている。みんな数学がわからないと思っている。「そんなことはない!」という“きっかけ”。そして大切なことはそれ以上でもそれ以下でもないということ。まかり間違っても、能力なんてものを問題にしたらいけません。数学だってそうです。だいたい、巷の数学教師である我々ごときが創るテストで、生徒の数学の能力を計れるはずがありません。数学の世界はもっと広く奥深い。我々数学の教師は、そんなに数学のことをわかってはいません笑
これまでの学校には、今回問題にしたテストのように、“何のためなのか?”を普段問われず、思考停止した状態で続いていることがたくさんあります。でも、もう惰性で続ける時代ではない。期末テスト真っただ中に言うことではないかもしれませんが、今一度、われわれは何のためにテストをやるのか?それがほんとうに生徒達の成長につながっているのか?を問い直す必要を感じています。みなさんはどうお考えでしょうか?

返事のある教室

 「はいって返事をしろ!」「わかってないのに返事だけするな!」
無茶苦茶ですね。担任をしていた頃、よく生徒達に言っていたことを思い出してしまいました。ひさしぶりの教室訪問。2年9組です。-
「薬理の小テストの復習をやっている人がいますけど、誰かの解答が間違っていたらみんな間違うから・・・確認しながらやってください。」と担任の大田黒先生。
 「はい」というはきはきとした返事。
 「テストは5年後の国試に向けてのトレーニングです。何とかして思い出すという訓練です。だから、あきらめないで取り組んでください。」
 「はい」
 「じゃあ、テスト初日、精一杯がんばりましょう~」
 「はい」というさらに大きなたくさんの返事。
 これだけきちんと返事ができるクラスはそうそうないなあと思いながら見ていました。こんなことを言っては何ですが、ヤンキーは返事をしないんです笑 いや、するんですが、返事をしろと言うと、「ウィっす」とか、「へい」とかふざけた返事を返します。昔の話です。だから、こちらも何で返事が「はい」じゃないといけないのか?ととんちんかんで妙なことを考えてしまいます笑 鍛えられました・・・まあ、それはそれで楽しいんですが・・・
 2年9組の返事は、そんなお茶らけた返事ではなく。落ち着いた日常をちゃんとがんばっていることがわかる返事でした。たかが返事、されど返事。
 返事一つで自分が変われること。-
自分自身も、クラスも、そんなささやかなことで変わることができます。
 「わたしたちのクラスは抜かされました~」
それは申し訳なかった。でも、“返事のある教室” 2年9組を訪問できてよかったです。

コロナ感染の中で

 あろうことかコロナに感染してしまいました。かかりつけの先生に尋ねると
「水曜日までは自宅待機ですね・・・」
 仕方がありません。症状は初日に熱が出ただけで、以降はたまに咳が出る程度・・・時間はたっぷりあります。とりあえず読書をして過ごします。読書って時間つぶしにもなるし、気晴らしにもなるし、何だかんだ面白い。いや、読書は一般に言われている以上に余暇を過ごすのにコスパがいいんです。積読している本が結構あります。
 特別休暇中、意外と夢中で読んだのが、フレディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(新潮文庫)。福岡出身のフレディみかこさんは、イギリスのパンクロックに憧れ単身で渡英。保育士、清掃業、調理師・・・等々数多くのいわゆるシット・ジョブの経験を経て、今、フリーのライターとしてイギリスに在住されています。彼女の微妙に知的で、微妙にユーモラスで、微妙にアグレッシブな文章が以前から好きでした。本作は、そんな彼女が息子とのかかわりを綴った、コミカルで、奥深いルポルタージュ。この本は続編ですが、あっという間に読んでしまいました。いい本って、あっという間に読めるんです笑 印象に残っている一節。-
 
『でも、ライフって、そんなものでしょう。後悔する日もあったり、後悔しない日もあったり、その繰り返しが続いていくことじゃないの?』
 
 13歳の息子が語る「ライフ」・・・なんか「人生」って訳したらつまらないですね・・・。“ありふれた”ことですが、この“ありふれた”ことをしっかり見つめ、受け止め、今を肯定して生きる。
 みなさんもぜひ、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー1・2』(新潮文庫)
読んでみてください。面白いです!

約束したので

「寿司打」とは、ネット上にあるタイピングトレーニングサイト。
熊本中央高校には、この「寿司打」のチャンピオンがいます。チャンピオンって、いったいどこがチャンピオンなのか?-
それは、「寿司打」の高級¥10000コースをクリアーできるってことです。
いや、わけわかりませんね・・・笑
ようするに最も難しいコースを軽くクリアーできるってことです。試しにみなさんもやってみてください。
ちなみにわたしはお手軽¥3000コースもクリアーできません。それがどれだけすごいことかわかります!
何を隠そうその「寿司打」チャンピオンこそ、先日も登場したような気がする3年8組興梠さん(写真右)です。
約束なので載せました~現在検定四種目1級合格を目指し、総合ビジネス科職員室で日々ストイックに励んでいます。
 それからもう一人、今、入試に向けてわたしに統計学を習っている奇特な生徒がいます。
毎日毎日、計画したことを地道にしっかり取り組んでいます。
粘り強いです。根性があります。素晴らしいです。
ところでみなさん、受験勉強でもっとも大切なことってわかりますか?
それは、勉強ごとの“ゴール”をはっきりさせ、それを“仕組化”し、必ず“続ける”ということ。
感情に左右されるようではだめです。何でもそうですが、方法が悪いと結果は出ません。
ただ勉強すればいいってことではないんです。
 まあ、それはともかく、その生徒の名前は普通科3年5組の池田さん(写真左)。
これも約束したのでブログに載せました~
あと、聞いた話ですが、2年9組が「わたしたちのクラスは飛ばされました~」と訴えているらしいです。
そうだっけ・・・まあ、いいです。望むところです。

来週は2年9組からスタートします!

本日休校。大雨の被害がありませんように・・・

授業=我慢ではない!

理事・管理職の授業参観が実施されました。今回は3年生。1・2号館2Fからのスタートです。はじまって早々、まっさきに思ったこと。-
 
授業=我慢ではない!
 
 双方(インタ)向性(ラクティブ)が求められるこの時代。平気で一方通行の授業をしている側も確かに問題ですが、受ける生徒達も問題です。もっともっと自分の事として取り組まないといけません。黙って言われたことを何も考えずにやる。ただただ静かにしている。
はたして、それでいいのか?-
寝ている生徒を起こさない教師も問題ですが、もし眠たくなるようならば、「もっとわかるように」「もっと面白く」・・・という声をあげて、しっかり求めてほしい。言ったはずです。声を上げなさい。オーナシップを持ちなさい、と。
 ただそんな中、生徒達が活発に取り組んでいるクラスもありました。
3年3組の数学。担当は百田先生。
「この形、この形が作れれば必ずできるから、この形を作って~」元気いっぱいです。
班を作って数学を教えあう3年5組。担当は白坂先生
「おいおい、頼むよ~笑 教えているからできるはず~」
 生徒達はぶつぶつ言いながらも、それぞれ教え合い、わちゃわちゃとがんばっていました。これでいいんだと思います。いや、これぐらいはないといけない!
文部科学省を中心に、今、教育業界では、主体性とか、対話的とか、個別最適とか、耳障りのいい言葉だけがさかんに言われています。でも、それは単なる言葉です。言っているだけでは何も変わらない。現場は違います。もっと躍動です。躍動!
あっ紙面がなくなりそうです。総ビの「寿司打」チャンピオンをブログに掲載すると約束したのですが・・・それは、明日ということで・・・

続・授業を極めたい

 “わくわく”、“驚き”、そして“やったーできた”の3拍子揃った授業を見せてもらいました。
高野なごみ教生の理科の授業。生徒達は1年1組。場所は3号館奥の理科室。
「光合成色素をペーパークロマトグラフィで分離させる実験です。ひとつひとつ確かめながら進めていきます。」
 手順の説明も的確です。スライドにも具体的な操作が見やすく写され、先生班としてわたし、他の実習生3名、そしてなぜか数学科の本田先生と実験に参加しました。実験が佳境にさしかかった頃
「おーすごい!」
 じっさいに分離された色がペーパーに映ると、生徒達に歓喜の声があがります。
「あれ・・・これって失敗かな・・・」やっと失敗に気が付いた本田先生笑
「そんなこともありますよ・・・笑」さらりと流す指導教官の岡本先生。
 授業は、お世辞抜きで教育実習生の研究授業とは思えない盛り上がりを見せ、次の授業への何かしらの期待を抱かせつつ終了。素晴らしかったです。
 研究授業というと、われわれ教師はどうしても「型」や「形式」といった業界の作法を問題にします。確かにそれも大切。ただ、それはあくまで教師の側から見た話です。ここ最近思います。少々そういった作法ができていなくても、“わくわく”、“驚き”、“やったーできた”を生徒達が体感できればそれでいいんじゃないかと・・・歳をとっておおらかになったこともあるのかもしれませんが・・・笑 生徒が生き生きと学ぶ姿は何物にも代えがたい喜びです。
 放課後、指導教官の岡本先生、西田陽子先生、途中ちょっと池田織先生と授業について語りました。楽しいひと時です。熱く語る岡本先生に2人が
「わたし達だってやりたいことたくさんあるんです!」
 中央には若くて優秀な教師がたくさんいます。そんな先生方の“授業を極めたい”という思いにこたえる。わたしの仕事です!もちろん、わたしも負けません。教育実習生のみなさん、お疲れ様でした。そしていい刺激をありがとう!

授業を極めたい

先日、数学科の百田先生に

「塩田先生が、昨年言っていたこと、今なら少しわかるような気がします。」

 と言われました。正直、何のことか覚えていませんが・・・笑 普段、無駄な雑談はしないので、もちろん授業のことでしょう。自分は成長したってことかもしれません・・・笑

さて、今日は家庭科の田島教生の研究授業です!

 

「まず初めに、総合探究コースのみなさんに関係のある話から始めます。水検定です。」

 明るい笑顔とはきはきとした言い回し。こんなことを言っては何ですが、やはり見た目も大切です。そこは勝てない・・・笑 時間にして2時間。ひとつひとつしっかり丁寧に授業が進んでいきます。2年5組の生徒達も先生の問いかけに何とか言葉を返そうとがんばりました。授業は教師と生徒で創るもの・・・教師だけがどれだけ力んでも、けっしていい授業にはなりません。

「おっ、すごい・・・」

 生徒からの声に、控えめに驚く田島教生のリアクションが印象的でした。

 われわれの仕事の中心は授業です。自分の専門性と技術で生徒達に学ぶことの喜びと驚き、そして成長を促すこと。学校にとってこれ以上に大切なことはありません。
 授業の後の反省会。わたしは、今日の授業はともかくこれから教壇に立って教師を続けていく上で忘れてほしくないことをいくつか伝えました。その中の一つ
「生徒達は、先生の授業以外に毎日6時間も机に座って授業を受けています。だからこそ意味ある時間、おもしろく、楽しいと思える時間にするという気持ちを常に忘れないでください!」
 もちろん、自分への戒めでもあります。まだまだ“授業を極めたい”。わたしも同じです!

学校をよくしたい!

「学校をよくしたいと思って勇気を振り絞ってステージで演説しているのに・・・それを笑ったり、話していたりする人たちがいました・・・わたしは、それが悔しくて、悔しくて・・・」
 先週の生徒会立会演説会が終わった放課後。「校長先生に話があります。」と涙ながらにそう訴えてくる生徒がいました。その態度からは、これぐらいでまあいいや、とかどうせ中央だから・・・なんていうあきらめは感じられません。どうしてわかってくれないんだ。なぜ、そうなってしまうんだ、という憤りと悔しさがひしひしと伝わってきます。
正直、わたしも演説を聞きながら感じていました・・・今回の立会演説、立候補した生徒たち誰もが立派でした。“勇気”という言葉と“学校をよくしたい”という言葉を、全員が胸を張って堂々と口にしていました。なのに、この雰囲気は、と。
 翌朝の朝会で、この話を先生方に伝えました。すると3年学年主任の奥島先生が
「すいません・・・うるさかったのは3年生です・・・」
と言いに来られました。
「あやまらないでください。悪いことがあったら直していけばいいだけです笑・・・」
 今回わかったこと。それは、今の熊本中央高校には“学校をよくしたい”、“これはダメなんじゃないのか”と訴える生徒たちが確実にいるということ。完璧な人間なんていません。生徒も教師もそれは同じ。
人は間違いを犯すもの・・・だとしたら直していけばいいだけです。第一何も問題のない学校なんて面白くない笑 われわれの力が試されているとも言えます。いい学校とは、すべてのことが教材になる、すべてのことが生徒達の成長の(かて)になる学校です。
“学校をよくしたい”。今度はわれわれ教師達が応える番です。やる気が出てきました!

権威を疑う

「やる気の出る話をしてください!」と一宮先生。
「えーやる気か・・・いや、授業がしたいな・・・笑」
「はあ~人の授業時間に勝手に授業するって言っています!」と一宮先生が冨田教頭にチクります笑
 
 困りました・・・えーせっかくの時間なのに話は嫌だな・・・授業がしたい・・・わたしの偽らざる心の声です。ということで、少々依頼とは違いますが、やっぱり授業をすることにしました。だって、わたしは数学の教師だから笑
 さて、授業が終わった後のこと。3年1組の原田依蕗さんが真剣なまなざしでぐいぐい食らいついてきます。驚きです。授業の内容は、次があるのでここには書けませんが、とにかく納得するまで引き下がりません。
「どうしたの?」わたしがたずねると
「これ、今借りて読んでいるんです!」
 見せてくれた本は、なんと『哲学と宗教・全史』。知る人ぞ知る大著です。
「ソクラテスとかプラトンとかパスカルが偉いって言われるけど・・・わたしはそんな風には思いません。」
「すばらしい。そうそう校長先生も偉くはないぞ笑」とわたし
「いや、校長先生は偉いですよ・・・」となぜかそこは忖度笑
「でもね、世にある”権威を疑う“ってことはとっても大切なことだよ。これからしっかり学べばいいよ。」
すべての学問の始まりは「なぜ?」。そして、哲学は世のすべてのあたり前を「疑う」ことから始まります。熊本中央高校にも“考える”ことで権威と闘っている生徒がいるんです。
権威に()びてはならない。名声におもねってはならない。-
ほんとうの学びとは、そこから始まります。原田依蕗よ、大いに闘え!わたしの心からのエールです。

中央総ビのサクセスストーリー

「あれっ、間違ってるやん」
「うそ~そんなはずはない!」
 気合の入ったやり取りは、総ビのカリスマ“マツフジ”と3年総合ビジネスの興梠さん。
「いや、計算ミスしとるど~」
「えっ、あってますよ・・・あってます!」
 自分はできるんだ、自分はがんばっているんだ、という“プライド”がすがすがしい気迫を生みます!まさに中央ならでは、バーニングスピリットです笑。
熊本中央高校の総合ビジネス科。近年、全商各種検定1級取得、日商簿記検定取得等々・・・数々の成果をあげ、もはや、どんな検定でも届かない目標ではありません。誰が、何の検定に合格してもまったく不思議ではない。全商簿記1級全問正解合格。信じられますか?日商簿記2級全問正解合格、全国誌に掲載されるぐらいの快挙。まだまだあります。ビジネス計算検定全問正解合格・・・全問ですよ、全問。そんなスーパーマンのような生徒達が中央の総ビにいるんです。他校のビジネス系の学科にいるでしょうか?ちょっと挑発しているみたいですが・・・笑
“中央総ビのサクセスストーリー”
これだけは確実に言えること。中学校までがどうであろうと、学力がどうであろうと、中央の総ビに来てチャレンジする勇気を(はぐく)み、努力し、めげずに、あきらめずに検定取得に挑む!そんな成長が熊本中央高校総合ビジネス科にはある。
 われわれはよく、中央は「挑戦」の学校だと言います。「挑戦」・・・この使い古された言葉の裏には、「失敗を恐れるな!」というわれわれの熱い思いがあります。そんなわれわれ教師達の思いにこたえてくれる生徒達。今、中央の総ビ、とっても熱いです!

一人の出来事をクラスの教材に

「実習生のHRでもいいですか?」と担任の本山真理子先生。
「そっか・・・いや、別にいいよ」
 3年2組の朝のHR。教卓に立つのは実習生の吉野美由先生。
「今日は、連絡がありません。係から何かありませんか?」
 
 いや~せっかくの朝のHR。連絡がないときこそ語らないと笑。-
 授業と違って朝のHRは計画的にはいきません。あらかじめ話を準備しても、その朝の生徒達の様子にマッチしているのかどうか・・・まあ、ここが難しくも面白いところです。
担任をしていた頃、連絡ばかりの朝は嫌いだったので、連絡はペーパーにして副委員長に後ろの黒板に書かせていました。確認するのは自分たちの責任。何でもかんでも話で伝えると賢くなりません。むしろ甘えます笑。で、わたしは話をする、いや、話をする時間を作る。何を話すのか?見たままを話すのはNGです。寝ている生徒に寝るな~別にいいのですが、それでは生徒達は考えたり、気づいたりしません。だから「教材化」して話す。ここが技です。ようするに「なぜ?」のポイントを絞る・・・一人の出来事を「教材化」してクラス全員で考える材料にする。問題はいくらあってもOKです!そのすべてが「教材」になるから・・・
 あまり語られませんが、それが担任の醍醐味です!当然ながら連絡係ではありません。せっかくなので、吉野先生に伝えてあげたいです。醍醐味を知ることで、もっともっと教師になりたい気持が高まるはずだから・・・
 いや、申し訳ありません。3年2組とはまったく関係のない話になってしまいました笑。

感じる心

重いドアを開けて第2音楽室に入るとショパンの『英雄ポロネーズ』俗に言う、ピアノが鳴る、という研ぎ澄まされた音、音、音・・・強さとやさしさ、悲しみと勇壮さ・・・『ピアノの詩人』ショパンの真骨頂に心が高鳴ります。けして広くはない音楽室。共鳴する音が空間をうねらせ、聴く者を圧倒します。
 そんな激烈な演奏をしていただいたのは、本日、新しいピアノになった記念に演奏をお願いした昭和音楽大学ピアノ科講師でピアニストの入江一雄さん。
芸術創造コースの生徒達にピアノの公開個人レッスンです。
「お菓子作ったことある?」
「はい」
「どんなお菓子?」
「ガトーショコラとか・・・」
「すごいね~ちゃんと分量計って?」
「はい」
 音楽とはまったく関係のない話ですが、ものを創るということと音楽を創ることの姿勢について示唆されます。
「ベートーヴェンってどんな人だったと思う?」
「怖い・・・」
「友達になれそう?」
「いや・・・はい」
 思わず大爆笑の生徒達。でも、入江先生は明るく冗談を交えながらも、大切なことを話されました。
「同じ楽譜、同じ記号・・・でも、弾く人が違ったら同じではないよね?“感じる心”が違うから・・・聴いてくれる人、弾く自分、みんなの“感じる心”を思いながら弾いたらみんなももっと楽しくなるよ。」
 音楽を友との懸け橋に。-
 いつだったか、そんなキャッチフレーズがあったような笑。癒された時間でした。

好きに優るものはない

 日本の学校は、学ぶことの苦手意識を助長し、学ぶことを嫌いにする。-
つい最近誰かがそんなことを書いていたのを読みました。正直、確かに・・・と思います。
 なぜだかそんな記事を、岩嵜教生の研究授業を見ながら思い出していました。
授業のテーマは「SDG‘Sのポスター制作」複雑な事象を単純化し素材を作り、新たにポスターをデザインする。とにかく、そもそもアイディアが面白い。初めて見た田中一光さんの『japan』や『一羽の鳩』のポスター、原爆のきのこ雲に鳩といった発想が常人には思いつきません。
月並みですが、表現というものは無限の可能性を持っている、ということを教えられます。 
「教科書いらないでしょう?」
「いや・・・そうでもないですよ・・・」
と担当の緒方先生。
芸術創造コースの根底には、何より、芸術が「好き」だという気持ちがあります。他と能力を比べられることで嫌になるとか、他の教科のように、どうしても優劣を付けることにこだわってもいません。ただただ、“好きに優るものはない”ということを実践してるいだけです。でも、ただそれだけのことができない学校がなんと多いことか・・・学びを好きにさせる、実はこれからの日本の学校の大きなテーマです。でないとやがて学校はいらなくなるでしょう。わたしは、そう感じています。
岩嵜教生の授業、よかったと思います。ただ、ちょっと思ったのは、わたしなら感想を書かせることはしない、ということです笑。お疲れ様でした。

教え方のプロ

 まさかまさか、着付けの授業を見学することになろうとは・・・笑。
商業科の松藤先生と
「課題研究、見学したいんだけど・・・」
「だったら着付けがいいんじゃないですか?派手ですから・・・笑」
 何気ない会話でした。担当の伊勢田先生にお願いし、遠慮がちに4階の礼法室に入ると、
浴衣姿の3年総ビの面々。 まさにうら若き乙女たち、いずれ菖蒲(あやめ)杜若(かきつばた)・・・ちょっと古いか笑。とにかく、お世辞抜きで麗しい。間違っても、馬子にも衣装なんて言ってはいけません笑。浴衣姿がよく似合っています。
 ところで、それはともかく一番驚いたのは、伊勢田先生の教え方の上手さでした。何気なくされていましたが、自分が着付けをやりながら着付けを生徒に教える、というのはとても難しいと思います。
子どもに箸の持ち方を自分が箸を使いながら教える場面を想像してみてください。簡単ではないはずです。 動作を言葉にして相手に伝え相手の動作を変える、これがちゃんとできる人は、もうそれだけで“教え方のプロ”です。それに、無駄な話がいっさいない。流れるような所作と生徒それぞれにあったわかりやすい言葉で、伊勢田先生は、生徒達の着付けを自然に導かれていました。いや、感心しました。時間の都合で最後まで見られなかったのが残念です。
今回は浴衣の着付けでしたが、また別の時間に伊勢田先生の教え方を学びに行きたいと思っています。あっ、3年総ビの生徒たちもがんばっていました!

若者に学ぶ時代

 
ポップな若者と話をしました!
「校長先生、教科は何ですか?」
「数学です。」
「数学ですか!実は、わたしも2年間石垣の久米島で数学の教師をやっていました。」
「えっ、ではなぜ今、エヴァンジェリストなのですか?」
「教育をICTの力で外から支えたいって気持ちがもともとあって、まずは現場を知らないといけないと思い・・・」
 はじけそうな熱意ときらきらした瞳で語る彼は、『code Takt』の古谷龍二さん。隣には若くして営業担当を任されている西川枝里さん。教育支援アプリ『classi』の研修講師として来ていただいた若いお二人ですが、興味深い話と素敵な人生観に惹かれ、ついついブログに載せてしまいました笑。
 
教育とICTの今後について校長先生はどうお考えですか?」
 
 ホットでストレートな質問。わたしも持論を語ります。会話が弾む中、あらためて思います。やっぱり“若者に学ぶ時代”なんだなと。-
 年長者の経験が活きる時代はもうすでに終わっています。VUCA(ブーカ)の時代。誰も答えがわからない。経験ではなく、誰でも常に学び続けないといけない。誰から何を学ぶのか?学ぶ価値のあるものとは何なのか?テクノロジーの進化、多様化するライフスタイル、あふれる情報・・・わかっている人にはわかっています・・・そう、今は年長者が“若者に学ぶ時代”なんです。だからこそ面白い笑。
 古谷さん、西川さん、また機会があったらいつでも校長室に笑。本日はありがとうございました!

「なぜ?」と「アウトプット」

科学技術費を30%増加して、化石賞をもらった日本の汚名を晴らすべきです!」
「30%の増加って具体的には何をするんですか?」
「子どもを安心して生み育てる国にするべきです!」
「子どもを産まない選択、多様性はどうなるんですか?」
 2年特進コースの特別授業。財務省の方による『国家予算を作ってみよう!』での各班からの提案。喧々諤々(けんけんがくがく)とまではいきませんが、話し合って決めた主張を堂々と発表し、質問に答えます。心なしか、いつにも増して生徒達は生き生きとしています笑。
 これまでの学校にずっとずっと足りなかったもの。そして、今、いや、これから特に必要とされているもの・・・
「なぜ?」と「アウトプット」-
 学校は、学問という人類の文化を学ぶはずの場所なのにほとんど「なぜ?」がありません。どうしてでしょう?その理由は、「なぜ?」を問う人材よりも、与えられたことに素直に従う人材を社会が必要としていたからです。だから、「アウトプット」も必要なかった。しかも、いまだにそんなことが続いている・・・(おろか)としか言いようがありません。でも、もう限界です。学校も変わらないといけません。
 さすが2年特進コース。わたしには、彼らの粗削りな議論の光景が、「なぜ?」と「アウトプット」を創り出していく力になる、そんな可能性を感じました。議論に耐えうるメンタルと知識がしっかりと身につくことを期待しています。
遠方よりお越しいただいた財務省の方々、ありがとうございました!

生徒を見るということ

「わたしは、毎朝、あなた達の集中する力はすごいなあ、と思って見ています。」-
 
 2年10組、現在担任の代行をお願いしている小川先生のHRは、この一言で始まりました。教壇に立つ小川先生。けっして別の仕事をするでもなく、ましてや教卓に座るでもなく、じっと一人一人の生徒達に優しいまなざしを向けています。
HRを回っていると、生徒達のことはほったらかしで、教卓に座り、自分の仕事に没頭している担任の姿をよく目にします。別にたしたことではない・・・確かに、そうかもしれません。でも、われわれは、心を持った生徒達を日々相手にしています。機械のように何も変わらない日常なんてあり得ません。悩んだり、苦しんだり、喜んだり、そういった生徒達の悲喜こもごもの中に成長の芽がある。どんな時間であろうと、その成長の芽を見逃してはならない。生徒を、日々見るということの難しさを謙虚に自覚するところから教師の仕事は始まる。今朝の小川先生の姿を見ながら、わたしはそんなことを思いました。
 
 小川先生が、2年学年主任の森先生に
「2年10組、みんないいですよ~ほめてください!」
と言われたそうです。それを聞いて、今朝、2年10組を見に行こうと思いました。
 
「今日は、2限目からテストで嫌だなあって思うかもしれない。だけど、今みんながやっている勉強は、必ずみんなのこれからに意味がある、わたしはそう信じています。だから、一生懸命に取り組もう!」
 
意味のある話をすれば、生徒達は目をきらきらさせてその話を聞きます。うなずきながら・・・2年10組、小川先生の言う通り、しっかりがんばっています!

母校に錦を

とりあえず4階に、と思って1・2号館奥の階段をあがっていると、なぜか2階の教室が気になって、どうしてなのか、すっと引き込まれるように入ってしまいました笑。
 クラスは3年8組。担任は本校卒業生の宮本真菜先生。
ぱっと見て思います。3年8組の朝はばっちりです。
ほんとうに素晴らしい。誰一人ぼんやりしていない。
それぞれが、明日行われる模試の「ワンウィークトライアル」をやったり、これから挑む検定の勉強をやったり、自然に力まず、やるべきことをしっかりやっている。
“よし、やるぞ”という空気がみなぎっています。やっぱりそうなんだ。
だから、ここ最近の総ビ、いい結果が出るはずです。
 
「6月後半は、検定ラッシュが続きます。コロナ感染者が増え始めているから、くれぐれも体調には気を付けて、検定ラッシュを乗り切ろう!」
 
 宮本先生の激が飛びます。教室には、気持ちのよい緊張感。
学生の頃の宮本先生は、中央が大好きで、細やかな気が利く人の心がわかる生徒で、当時学年主任だったわたしをよくサポートしてくれました。思い出すのは卒業式のサプライズ・・・学年の担任の先生方全員を感激させたい、と実に心のこもった音楽や動画を当日の朝まで創ってくれました。
改めてありがとう。
そんな宮本先生が、今、母校の教壇に立っています。感無量です。

故郷に錦をならぬ、“母校に錦を”-

 大きな飛躍と、感動に満ちた教員生活でありますように。ふらっと訪れた教室で、またささやかなドラマの息吹を見つけました。
やっぱり学校は教室が舞台です!

「どうせ」と「まあいいや」

 10数年前の中央、教師達も生徒達も思っていたこと。-
「「どうせ」中央だから・・・」
「中央だからこれぐらいで「まあいいや・・・」」
 先日の後援会総会で、保護者の皆様にそのことを話しました。わたしの中央での“歩み”。もしもその“歩み”を闘いというのならば、それは文字通り闘いだったと思います。生徒達と向き合う中で、いつだって、「どうせ」と「まあいいや」と闘っていました。
 
 学校にいると、われわれの指導について苦情を耳にすることがあります。生徒達からも、保護者の皆様からも・・・時代と言えば時代でしょう。でも、間違ってはいけません。教師が、本気で叱らなくなったら生徒は育たない。教師が、悪いことを正さず逃げてしまったら生徒達の大切な成長が失われる。そして、学校はまた「どうせ」と「まあいいや」に逆戻りする。
 
昨年まで、授業開きのときに必ず生徒達に聞いていました。
「わたしの印象は?」
すると生徒達は必ず
「怖い・・・厳しい・・・笑」
と答えます。そうでしょう。何を隠そうわたしは熊本中央高校でも遠慮なく叱るし、厳しい教師だから笑。でもだからこそ、わたしは必ず次のような話をします。
 
「「どうせ」中央生だから、これぐらいで「まあいいや」とは絶対に思いたくはない。だから怒るべきときは怒る。でないとみんなの成長が失われる。それに、もう二度と「どうせ」と「まあいいや」の学校にはしない・・・だから、怒るべきときは怒る。」
 逃げたり、目をつぶったり、避けたり、あやふやにしたり・・・、生徒の成長のために、われわれは楽な道は絶対に選びません。覚悟を持って生徒達と向き合っています!
 多くの方々に、この思いと姿勢をご理解いただけたらと思っています。

スーパーダンディー徳本

陸上の山形の指導者と言えばわかりやすいでしょうか?-
 なんでこんなにいつまでも格好いいのか笑。スーパーダンディー徳本のクラスを見学しました。2年7組です。昨年の彼らを知っているわたしには複雑な思いがよぎります。
しっかりがんばっているのか・・・中だるみはしていないか・・・せっかく1年かけてつかんだ自信・・・自分だってやれるんだ・・・やればできるんだという確信・・・そういった“大切なもの”が今ちゃんと活かされているだろうか、と。-
教室に電卓をたたく音が響きます。手を止めたある生徒に
「それ、本気でやっているの?」
と聞くと
「はい、本気です。」別の生徒は
「いや、最初軽く流してから・・・」
「なるほど、かっこいい。」
 そうでした。ここは総合ビジネス科でした。担任がさわやか過ぎてそれさえも忘れてしまいます笑。でも、スーパーダンディー徳本のクラスは必ずよくなります。成長します。それはなぜか?彼には、教師にとってもっとも大切な“ハート”があるからです!
今年のスーパーダンディー徳本。陸上部があります。2年7組の担任もあります。そして中学生のみなさんに中央をアピールする“中央の顔”という大切な仕事もあります。でも、彼はそんな多忙な中でも、大変とか、忙しい、なんて言葉を口にしません。それが“ハート”です。少しぐらいのことで「忙しい、忙しい」と口にする教師にいい教師はいません笑。
みなさん、今年のスーパーダンディー徳本、注目してください!

教師になりたい!

 本日から熊本中央高校に5名の教育実習生が来ました。-
 
 ふと、自分のことを振り返り思います。
教師になってしばらくの頃、うまくいかなくて、つらくて、自信がなくて、できないことばかりで、思い悩んだ日々。-
 あれからおよそ30年あまり、たくさんの生徒達、教師達と出会い、嫌なこともうれしかったこともいろいろあって、今つくづく教師になってよかったなあ、と。
「みんな、教師になりたいの?」
「はい!」全員がそう答えます。
「みなさんにとって教師の仕事の魅力って何ですか?」そんなストレートな質問を交えながら、短い時間、和気あいあいと話をさせてもらい、実習生の“わくわく”を分けてもらいます。
 
 わたしは、若者が大好きです(赤ちゃんから、もちろん生徒も含めた)笑。その未完成のひたむきさが、きらきらした思いが、嘘のないほんとうがわたしの心を熱くします。 
5名の教育実習生も元気に、物おじせず、笑顔で堂々と思いを語ってくれました。
 
 教師になりたい!-
 
 ぜひ、その思いを実現してほしい。教師という仕事は、他の職業では絶対に得難い“感動”を得られる仕事です。どんな仕事よりも自分らしくいられる仕事です。
その夢がきっと叶いますように・・・それが、わたしから、実習生のみなさんへの心からのエールです!

生きていく強さを

3年看護科の病院実習が始まります。生徒達に話しをしました。
 
「病院実習だから大変とは思わず、ここでもう一度「覚悟」を決めるいい機会と思いなさい。」
 
 まだまだ高校生だと思えば厳しいかもしれません。ですが、看護科にいる以上、看護師になるという「覚悟」を決めないと、その思いは叶いません。
 
成績が悪い、能力が低い・・・だから看護師は無理・・・よくそんな勘違いを聞きます。でも、そんなことが看護師になれない原因ではありません。そもそも人の能力なんてわからないし、努力次第で変わっていくものです。それに、これまで多くの先輩達が、勉強は出来なくても、何かあるたびに仕切り直しをして、「覚悟」を決め、看護師なっていきました。大切なことはその「覚悟」があるかどうかです。そして、「覚悟」があるかどうかは自分にしかわかりません。
 話の中で、厳しいついでに、あえて“人生を失敗する3つの特徴”という話もしました。
 
ルールが守れない。
感情をコントロールできない。
人のせいにする。
 
 どうでしょうか?別に看護科の生徒達だけではありません。こういったことを自覚して克服する、自分を見つめ、考えるために生徒達は学校に来ています。
“生きていく強さ”とは、そういった自分の在り方を一つ一つ時間をかけて克服していくことから始まります。3年看護科の病院実習がその一助となりますように・・・

すべての高校生にエールを

書道部出展作品
 志を持った高校生がこんなにいるんだ。-
 
 高校総体の開会式に参加して、あらためてそう思いました。みんないい顔しています。
何かを求めて、何かを目指して、そんな青春の“志”がひしひしと伝わってきます。もちろん熊本中央高校の生徒達も。
 午後から参加した総文祭の開会式。高校総体に負けないぐらいの熱で、ステージを盛り上げます。熊本中央高校からは「写真部」「書道部」「美術部」が出展していました。
 すべての高校生にエールを。-
わが校だけではなく、すべての高校生ががんばる総体・総文祭になるように。
 最後に苦言を一つ・・・来賓の長い挨拶、もういらないのでは笑・・・みなさんはそう思いませんか?

中央生は本番に強い!?

 今日は、総文祭開幕を告げるパレード!
 写真をたくさん撮ってきたので、文章は短く笑。
 PM15:40。新市街入り口に登場したわが中央高校の生徒達。Dr.スランプアラレちゃんがいます。ドランゴンボールの悟空も、そしてフリーザーもいます。えっ、これでいいのか~いやいや、聞くところによると他校との違いを強調したいとのこと。強気、かつ挑戦的です笑。
整列完了!いよいよスタートです。わたしの心拍数もあがってきます。大丈夫なのか・・・不安がよぎります・・・心配です・・・
 でも、「必殺仕事人」のテーマで始まったパレード。息もぴったり、気合とやる気が、響きあう音にのって、わたしたちにビシバシ届いてきます。うまい、うまい。
やるな~すごい。やっぱり、中央生は本番に強い!そうなんです。大丈夫かな、大丈夫かな・・・と心配していても、中央生は本番必ずベストの結果を残します。これが熊本中央高校の伝統なんです笑。みなさん覚えておいてください~
 

教えることは学ぶこと

 数日前のこと、3号館の階段を下りていると声をかけてくる生徒が、
「先生、先生に統計学を習ってもいいんですか?」
「えっ、もちろん」
「そうなんですか~?」
 わたしを何と思っているのでしょう笑。校長だからかな・・・校長は勉強を教えてはいけない・・・生徒もいろいろ考えるものです。でも、熊本中央高校に、そんなつまらない建前はありません笑。そもそもわたしは学校の先生です。
真面目で、ストイック、静かな中にふつふつと沸き起こる闘志を感じさせるそんな生徒は、3年総合ビジネスのホープ、馬原(こう)君。一見おとなしそうですが、いい目の輝きをしています。
総合ビジネス科の職員室に行くと、馬原君が、勉強を教えている姿をよく目にします。
「ブログに載せてもいい?」
「はい」
 はにかむ馬原君がちょっとうれしそう。先輩が後輩を教える。今の総合ビジネス科の職員室では当たり前の光景です。そして、それが中央総合ビジネス科の力になっています。われわれも同じです。
“教えることは学ぶこと”-
面白いんです教えることは、でも、その面白さを言葉で伝えるのはもったいない。機会があったら総合ビジネス科職員室で馬原君に聞いてみてください。
さて、何と答えるやら・・・笑。

能ある鷹は爪を隠す

今朝は、中央のナイスガイ、岩下聡先生の2年5組です。
ドアを開け、教室に入ると、全員が「ワンウィークトライアル」をやっています。そうでした、ここは総合探究コース・スキルアップ。世にあるさまざまな検定取得を目指す優秀?なクラスです。
「キャリアチャレンジの自己紹介カード、今日中に仕上げて~」
 岩下先生、机間巡視しながら声をかけ、生徒一人一人の“朝の様子”をこまめに見て回ります。基本です。
「では、机の上を片付けて、朝のHRの準備をします~」
 さっと動く生徒達。
 わたしは、どんな話が聞けるのだろうかと身構えました。たいそう熱い話が聞けるだろうと。岩下先生ぐらいナイスガイの雰囲気があれば、何を話しても許されそうです笑。
クラスの生徒全員が顔を上げ待ち構えます。1人がわたしの方をちょっと振り向く。
「気にしないでいいよ~」と岩下先生。
 連絡事項が始まります。そして、最後
「週の中日だからがんばっていこう!」
 拍子抜けでした笑。きっとわたしがいたからでしょう。熱い話、封印したようです。まあ、仕方ない。“能ある鷹は爪を隠す”。そういうことにしておきましょう~

担任の腕

2年生で評判?のクラス2年4組。担任は、中央のスーパーサブこと泉由美先生。
「今朝、HR行くから~」
「ウェルカムですよ~もぐら叩き見に来てください~笑。」
ということで、“もぐら叩き”見学です。
 そっと教室に入ると、机の上はちゃんと片付けられていてアンケートの記入にみんな一生懸命です。以前ブログに登場した馬場君もがんばっています。
「先生、郵便番号がわかりません~」
「先生、電話番号は書くんですか?~」
「先生、何がもらえるんですか?~」
確かに”もぐら叩き“です笑。でも、さすが泉先生、机間巡視をしながら声をかけ、順番にひとつひとつさばいていきます。